日本社会における巨人とは
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5336589.html
「進撃の巨人」というアニメが、今、流行っている。
大きな壁に守られた内側で、人間達が暮らしている社会があって、ある日突然、巨人が現れて、壁を壊して内部に入ってきて、人間達を次々に食べてしまうという物語である。
巨人という敵に対して、圧倒的な力の差から、絶望感に襲われる人類の姿が良く描かれている作品だ。
では、この巨人とは、日本社会に当てはめた場合、何を意味するのだろうか。
日本社会の内部に入ろうとした場合、何も壁を壊す必要は無い。
巨人である必要も無い。皮肉なことに、日本という壁の内部に入り込もうとすれば、むしろ巨人の姿とは逆に子どもである方が望ましい。
日本人の心情に訴えて、不法滞在の外国人家族が、日本内部に入り込んでいる。これを安易に許してはならない。
日本人は、1億2千万人。その外には60億人の外国人が生活している。もし日本がその“壁”を低くしてしまえば、多くの外国人が、わんさかやってくるに違いない。
少子化を問題視する日本人は多いが、少子化など移民政策の変更だけで、いくらでも解消可能な問題だ。ここで日本人の心に隙ができる。
百年後、二百年後、日本の人口は減りませんでした。しかし、そこに住む日本民族は、圧倒的に少なくなってしまいました。これでは意味がないのだ。
日本は良くも悪くも、閉鎖的な社会だ。建前は別だが、本音では日本の国家経営は日本人だけで運営していきたいのだ。国際化とは言っても、少しの外国人たちを受け入れる度量はあっても、多量の外国人を受け入れる度量は日本人にはない。
国際化は、日本人が望むと望まざるとに関わらず、決して避けられない。避けられない以上、それは仕方なく受け入れるにせよ、自ら進んで外国人受け入れ政策を推進すべきではない。
これはたとえて言えば、人間に死は避けられない。しかし自ら進んで死のうとするのではなく、徹底して死に抗っていく人間の姿に似ている。
日本は少子化によって、人口が減りつつも、それを甘んじて受け入れ、安易に移民による人口増を狙わない国家運営をしてもらいたい。
2013年05月21日