政治家とは、批判される存在
2013.6.22 07:00 産経ニュースより
【今週の進次郎】
安倍首相にチクリ「個人名挙げて反論すべきじゃない。批判は当り前!」
[小泉進次郎]
--交流サイト「フェイスブック」上で首相が田中均元外務審議官を批判、これに民主党の細野豪志幹事長が反論しているが
「私は個人の名前を挙げて、反論、批判はすべきじゃないと思いますけどね。政治家って、いちいち批判に一個一個反応していたらきりがないでしょ?」
「私もいろんな批判、中傷、いろんなことありますけど、それを受けながら、どう多くの方の理解を得て、信頼を得て、多くの方に信頼される政治家になるかというね。そういった道が政治の道だと思ってますから、批判はあって当たり前。だから、それは受け止めながらね、やらないといけないかなと、私はそう思ってます」
--最高権力者の首相は批判を自制した方いいという考えについては
「そうですねえ。まあ、おそらく、総理はフェイスブック好きなんでしょうね。私は総理と違って、フェイスブックは個人アカウントでやってなくて、ページでやってますから」
「それもひとつは、友達申請とか、ひとつひとつ対応しようと思ったら、そっちの方に時間もかなり割かれてしまって、まあ、読書とか、自分の勉強とか、自分でひとりで沈思黙考する時間とかね。そういったものを犠牲にしかねないという思いがあるから、ページをやっていますが、そこは政治家個人個人の判断ですから」
「総理はおそらく、個人アカウントで、タイムリーに、発信をされるのがお好きな方なんだろうなと。ただ、総理はね、批判は何をやってもありますから。これから、ひとつやればね、必ず賛否両論あると思いますから。そこは、受け流してね、時に受け止めて。でも、面白くないな、わかってないなあと。なんでわかってくれないのかな、と思うことも、政治家だから人間だからありますよ」
「だけど、そこは、まあ、政治家のひとつの宿命だなと思いながら。結果を出すことに、専念をした方がいいんじゃないかなと。そういうふうに思いますね」
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「政治家は批判されて当然」
こんな簡単な事を、日本一国の首相である安倍晋三氏はご存じない。
これは権力の強さに比例して、「されて当然」の度合いが高まってくる。
だからこそ、野党より与党の議員がより強く、より多く批判されるのは当然のことなのだ。
なぜこんなことを安倍首相は理解せず、首相になったのか。
自民党の良き保守政治の流れから、何を学んできたのか甚だ疑問だ。
私は常々、政権与党の政治家は、国民からの批判に批判で答えてはいけない。
この様に考えている。
批判に対して批判に答える政治とは、
体制批判を許さない、支那、北朝鮮のような政治体制であって、民主政治とは一線を画すからだと思うからだ。
安倍首相には、私や小泉進次郎のような経験浅い政治家から批判されて、もう少しは大人の政治家として成長して欲しいと思う。
2013年06月26日