労働者の権利に関する法律を経営者に作らせてはいけない
最近、ツイッターで、ホリエモンこと堀江貴文さんに対して、ある人が「堀江さん、ブラック企業について ご意見お願いします。長時間労働や残業代未払い、休日の拘束など様々な要素がありますが、堀江さんも経営者としてスタッフの待遇についてお話いただけたら…」とツイートした。それに対しホリエモンは「嫌だと思ったら辞めればいいのでは?辞めるの自由よん」と返答したという。
これが全てを物語っているようにも思うのだが、そもそも経営者と労働者では、働くことに関する価値観がまるで違う。
もし本当にホリエモンの価値観で、世の中全てがうまく行くならば、労働基準法という法律は必要なくなる。
例えば、第32条に「使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。」とある。
これもホリエモン的思考で考えれば、「嫌ならば、辞めれば良い」で、済んでしまうことになる。
確かにホリエモンの言うとおり、嫌ならば辞めれば良いのだ。ブラック企業は、労働者から選別され、選ばれなかったブラック企業は、市場から淘汰され、倒産すれば良いという考え方もわかる。
しかし、中途採用市場がそれほど厚いとは思えない日本にあって、一度会社を辞めて転職するのは、海外ほど容易な話では無い。
同じ会社に最初から最後まで勤めることが美談のように語られることもあるが、それとは違う。転職することは悪ではないし、終身雇用が必ずしも良い制度だとも思わない。
しかし企業はむき出しの利潤追求の為には、暴走しがちな組織であることをしっかりと認識しておかなければならない。
企業が暴走した時に「嫌ならば辞めれば良い」は通用しない。労働者は、誰もが辞めたい時に辞められる人ばかりではないのだから。
新自由主義というと、あたかも企業の自由な活動を最大限尊重し、何ら規制をしない社会制度のように思われているようだが、それは違う。
どのような社会制度よりも、企業が自由に伸び伸びと活動できる社会だからこそ、暴走した企業に対しては、どこよりも厳しい責任を追及できるのが、本来のアメリカ型新自由主義なのである。
懲罰的賠償制度により、被害者には実害額以上の賠償金が支払われている。
それは考え方として、被害者に対する損害補償という考え方では無く、加害者に対する社会罰としての意味合いを強く持つので、実害額以上の賠償金を、被害者は手にすることができるのだ。
アメリカの訴訟社会を悪くいう人は多いが、多くは暴走する企業を懲らしめて、被害者には手厚い保障を実現しているという面では、非常に理にかなった文化であるとも言える。
企業に対する罰とは、どういうことか。
前述したように、労働基準法の第32条に「使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。」と書いてある。
これを経営者が破った場合、どうなるか。
日本では、「時間外労働を行った場合、通常の労働時間(休日労働の場合は、労働日)の賃金の2割5分以上5割以下の範囲内で政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない(第37条第1項)」となっている。
この2割5分以上5割以下の範囲内と言うこと自体が、労働者に対する実害保障的な発想であって、経営者に対する社会罰という発想がない。
もし経営者に対する社会罰的発想で「割増賃金を支払わなければならない」とすれば、その割合は、「10割以上20割以下の範囲内」と改正すれば良い。
こうなると働くことに関する価値観は、180度逆転する。
労働者を時間外に働かせることは、それだけの悪事であり、経営者はその罰として、多くの賃金を労働者に支払わなくてはならず、経営者自らが、法律を守ろうとするだろう。
もし残業しようとする労働者がいようものならば、怒鳴り散らしてでも、早く帰らせるようにするだろう。法律とはそのようなものだ。
この様な発想は、根っからの経営者には出てこない。
今回の参院選挙では、和民の渡邉美樹元社長が、自民党公認で立候補する予定だと報道されている。
「365日24時間、死ぬまで働け」
そう言ってきた張本人である。
ブラック企業の代表格とも言える和民にあって、労働者を、消耗品のように扱い、様々な社会問題を起こしてきた暴走企業の創業者である。
しかも、驚くことに、自分は悪いことは何一つしてこなかったというように、立候補にあたって、反省も謝罪もない。ブラック企業扱いしたマスコミに対して、逆に事実誤認による名誉毀損だとして、訴えようとしている元経営者である。
はたしてこの様な人物が当選して、労働者の権利が拡大することはあるのだろうか。日本社会がより良くなるのだろうか。
ブラック企業の存在は、これまで日本人の根本的価値観として植え付けられてきた「働くことは善」という文化に対して、真っ向勝負することになるので、非常に興味深い。今やもう無批判に「働くことは善」との価値観を受け入れる時代では無くなっている。
ちなみに欧州での文化は「働くことは悪」である。働くことは、必要最小限にとどめ、残りの時間を家族や友達のように愛する人たちと一緒に過ごすことが、人間として素晴らしい生き方であると、主張する。
今後、日本がどのような社会になっていくのか、参院選挙の結果が、それを示してくれるだろう。
2013年07月03日