金をかければ、子どもが産まれるのか。
4月3日(金) 22:00からはNHK「コンカツ・リカツ」というドラマが放送されていました。結婚したい40歳前後の女性たちが主人公です。現代社会は、独身者がなかなか結婚できない社会の反映なのでしょう。
4月7日(火) 23:00から放送されたNHK「爆笑問題のニッポンの教養」という番組が放送されました。そこで歴史人口学を専門とする大学教授が、100年後の日本の人口は、現在の1/3、つまり4000万人になるであろうとおっしゃいました。
世間の興味関心と同様に、本来興味関心の分野が狭い私であっても、人口問題は気になっています。
でも、それは日本の人口が少なくなっていくことに対する懸念ではなく、何をやっても、日本の人口は減っていくというのに、相変わらず「産めよ増やせよ」との発想から脱却できず、金をかければ、合計特殊出生率が上がると信じている政策や議員に対する懸念です。
これは断言できることですが、日本の人口は、どんなことをしても当分増えません。(移民奨励政策は除く)
これは政治が悪いのではなく、そのような日本の文化なのですから、あきらめた方がいいでしょう。
政治は万能じゃないのです。一度過ぎ去った時間は逆に戻せないし、死んでしまった人を生き返らせることもできません。
合計特殊出生率を高めて、日本の人口をキープしようとしても徒労に終わるはずです。
子育てしやすい環境を行政が作るというのは、良いでしょう。
しかし、例えば保育園が増えたからといって、出生数が増えるわけではないのです。
どんなに良い政策だとしても、財政には限度があります。また今の「少子化対策」と言われる政策では、出生率はあがりません。
よく子どもが産まれないのは、子育てにはお金がかかるからだという言い方がされます。
世論調査などによると、子どもが産まれなくなった理由の常に上位にランクされるのが経済的理由です。
しかし、それは本当の理由なのでしょうか。
最近、「経済的理由」という言葉は、子どもが産まれないことに対する「いいわけ」として使われているだけであって、実態を反映していないのではないかと私は感じています。
お金だけの問題で言えば、不思議なのが、1人あたりの県民取得が最低の沖縄県が、県別の合計特殊出生率は、ダントツの一位です。
同様に、県民所得ランキングがダントツ一位の東京都の合計特殊出生率は、全国最下位です。
これが何を意味しているのでしょうか。
物価が違うとか、家族構成が違うとか、色々な諸条件を加味した反論も聞こえてきそうですが、一切無視して事実を語れば、こうなります。
お金がある都市ほど、子どもは産まなくなるのです。
逆に、お金がない地方ほど、子どもが産まれるのです。
わかりやすく「お金」という言い方をしましたが、都市化すると人は子どもを産まなくなります。田舎では、人は子どもを産みます。
ですから、もし日本の出生数を少しでも増やしたいとしたら、東京解体とも言うべき、東京一極集中の脱却を目指す方が、変に子育て政策にお金をつぎ込むことよりも、出生数増加に寄与するのではないかと思うわけです。
しかし、もっと前提を問えば、「子どもは産まれないといけないのか」という問題が生じます。逆説的ですが、だとすれば、東京も解体しなくて良いと言うことです。もちろん、出生数が全くのゼロでいいと言っているわけではありません。
緩やかに日本の人口が減っていったとしても、それは嘆き悲しむべきことではなく、人口密度が減り、ゆとりある国土利用ができるようになり、歓迎すべきことなのだ。このぐらいに、肯定的に考えるようにしてはどうでしょうかという提案です。
去年、インドに旅行へ行ったとき、現地で会ったヒンズー教徒が、言っていました。
「イスラム教徒の奴らは、金もないのに、ボンボンと子どもを産みやがって・・・・」
お金が無くても、子どもは産まれるのです。
それに日本では、そもそも子どもが産まれる前提となる夫婦が少なく、独身者が多いのです。
少子化対策などと称して、保育園をどんなに多く作ったところで、未就学児の医療費を無料化したところで、子どもを産むべき前提となる夫婦の数が少なくなっているのですから、予想されるほど出生数が増えることは期待できません。
4月7日(火) 23:00から放送されたNHK「爆笑問題のニッポンの教養」という番組が放送されました。そこで歴史人口学を専門とする大学教授が、100年後の日本の人口は、現在の1/3、つまり4000万人になるであろうとおっしゃいました。
世間の興味関心と同様に、本来興味関心の分野が狭い私であっても、人口問題は気になっています。
でも、それは日本の人口が少なくなっていくことに対する懸念ではなく、何をやっても、日本の人口は減っていくというのに、相変わらず「産めよ増やせよ」との発想から脱却できず、金をかければ、合計特殊出生率が上がると信じている政策や議員に対する懸念です。
これは断言できることですが、日本の人口は、どんなことをしても当分増えません。(移民奨励政策は除く)
これは政治が悪いのではなく、そのような日本の文化なのですから、あきらめた方がいいでしょう。
政治は万能じゃないのです。一度過ぎ去った時間は逆に戻せないし、死んでしまった人を生き返らせることもできません。
合計特殊出生率を高めて、日本の人口をキープしようとしても徒労に終わるはずです。
子育てしやすい環境を行政が作るというのは、良いでしょう。
しかし、例えば保育園が増えたからといって、出生数が増えるわけではないのです。
どんなに良い政策だとしても、財政には限度があります。また今の「少子化対策」と言われる政策では、出生率はあがりません。
よく子どもが産まれないのは、子育てにはお金がかかるからだという言い方がされます。
世論調査などによると、子どもが産まれなくなった理由の常に上位にランクされるのが経済的理由です。
しかし、それは本当の理由なのでしょうか。
最近、「経済的理由」という言葉は、子どもが産まれないことに対する「いいわけ」として使われているだけであって、実態を反映していないのではないかと私は感じています。
お金だけの問題で言えば、不思議なのが、1人あたりの県民取得が最低の沖縄県が、県別の合計特殊出生率は、ダントツの一位です。
同様に、県民所得ランキングがダントツ一位の東京都の合計特殊出生率は、全国最下位です。
これが何を意味しているのでしょうか。
物価が違うとか、家族構成が違うとか、色々な諸条件を加味した反論も聞こえてきそうですが、一切無視して事実を語れば、こうなります。
お金がある都市ほど、子どもは産まなくなるのです。
逆に、お金がない地方ほど、子どもが産まれるのです。
わかりやすく「お金」という言い方をしましたが、都市化すると人は子どもを産まなくなります。田舎では、人は子どもを産みます。
ですから、もし日本の出生数を少しでも増やしたいとしたら、東京解体とも言うべき、東京一極集中の脱却を目指す方が、変に子育て政策にお金をつぎ込むことよりも、出生数増加に寄与するのではないかと思うわけです。
しかし、もっと前提を問えば、「子どもは産まれないといけないのか」という問題が生じます。逆説的ですが、だとすれば、東京も解体しなくて良いと言うことです。もちろん、出生数が全くのゼロでいいと言っているわけではありません。
緩やかに日本の人口が減っていったとしても、それは嘆き悲しむべきことではなく、人口密度が減り、ゆとりある国土利用ができるようになり、歓迎すべきことなのだ。このぐらいに、肯定的に考えるようにしてはどうでしょうかという提案です。
去年、インドに旅行へ行ったとき、現地で会ったヒンズー教徒が、言っていました。
「イスラム教徒の奴らは、金もないのに、ボンボンと子どもを産みやがって・・・・」
お金が無くても、子どもは産まれるのです。
それに日本では、そもそも子どもが産まれる前提となる夫婦が少なく、独身者が多いのです。
少子化対策などと称して、保育園をどんなに多く作ったところで、未就学児の医療費を無料化したところで、子どもを産むべき前提となる夫婦の数が少なくなっているのですから、予想されるほど出生数が増えることは期待できません。
私は、保育園を作ったり、未就学児の医療費無料化などをするなと言っているのではありません。それらの施策を出生数を増やす目的のためにするなと言っているだけです。子育て政策を充実させることに対しての異議ではないのです。
この日本にあっては、昔のように結婚して子どもを産むことが、半ば「常識」としての生き方ではありません。結婚しても子どもを作らない選択もできます。結婚しないこともできます。同性を好きになることだって違法ではありません。
つまり多様な生き方が許容される社会にあって、子どもが産まれなくなってくるのは、こそこそ必然というものです。
2009年04月09日