批判はできても、謝罪はできない。それが今の中国
NEWSへのコメント
読売オンラインからの抜粋です。
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【ニューヨーク=山本正実】「私たちは、日本に謝らなければならない」――。
2008年のノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン米プリンストン大教授は13日、外国人記者団との質疑応答で、1990~2000年代のデフレ不況に対する日本政府や日本銀行の対応の遅さを批判したことを謝罪した。
教授は、「日本は対応が遅く、根本的な解決を避けていると、西欧の識者は批判してきたが、似たような境遇に直面すると、私たちも同じ政策をとっている」と指摘。「(3月で8・5%と)上昇する米失業率を見ると、失われた10年を経験した日本より悪化している」と述べ、経済危機を克服するのは予想以上に難しいとの見方を示した。
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世の中には、意識していないだけで、占いビジネスがたくさんあります。
占い師、競馬の予想屋などはわかりやすいのですが、
経済学者とか天気予報なども同類と言えば、同類です。
そう考えるとあたらなくて当然なのですが、その発言が何か権威めいてくると、一種脅迫のようになることも事実です。
今回は、ノーベル経済学賞を取った人が、自分の過ちを認めて日本に謝罪したそうです。別に日本が謝ってくれなどと頼んだとは思えませんが、自主的に自分の非を認めたということでしょう。ある意味、純粋に学問の世界にいる人だからこそ、できたのかも知れません。またその分野の第一人者だからこそ、できたのかも知れません。
私は氏の人間性に対して敬意を表します。分かっていても、自分の過ちを自ら進んで謝ることなどは、到底人はできないことだからです。
日本もかつては戦争で多くの外国人を殺しました。しかしその罪を認めようとせず、謝罪しない時代が長く続きました。
当時の日本の悪行非道を今も批判し続ける中国は、今現在、チベットや東トルキスタンを侵略し続け、昔の日本と同じようなことをやっています。しかも、それは内政問題だとして、他国からの批判も受け付けつけようとはしていません。当然、謝罪などしていません。
このことからもわかるように、政治家と立派な学者は、人間性の根本からして違いがあるように思えてならないわけです。
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2009年04月14日