日本は中距離弾道ミサイルの開発を
陸自に短距離弾道弾 沖縄配備で尖閣防衛 防衛大綱盛り込みへ
2013.6.26 07:01 産経ニュースより
防衛省が短距離弾道ミサイルの開発の検討に入ったことが25日、分かった。射程は400~500キロを想定し、沖縄本島に配備することで中国による尖閣諸島(沖縄県石垣市)など東シナ海の離島侵攻への抑止力強化を目指す。7月にまとめる防衛力整備の基本方針「防衛計画の大綱」改定案中間報告に明記、平成26年度予算案概算要求に調査研究費を計上したい考え。
実現すれば陸海空3自衛隊が保有する初の弾道ミサイルとなる。運用は陸上自衛隊が行う方向だ。
16年の防衛大綱改定の際も、防衛省は長射程ミサイルの技術研究開始を検討した。だが、公明党が敵基地攻撃能力保有と専守防衛逸脱の恐れがあるとして反対したため見送った。
今回は射程を限定することで敵基地攻撃能力に直結しないと明確化。配備場所も沖縄本島と明示し、九州に配備すれば射程内に入る韓国の反発にも配慮する。
防衛省は16年以降、長射程ミサイルについて陸自の多連装ロケットシステムの能力向上を水面下で検討した。発射台を換え、米軍のミサイルATACMSを発射可能にする案だが、ATACMSの射程は300キロで、沖縄本島から400キロ以上の尖閣には届かない。
このため弾道ミサイル開発の検討に入ったが、低い高度を水平飛行する巡航ミサイルの長射程化ではなく、放物線を描き高速落下する弾道ミサイルを採用するのは「即応性」に優れているため。弾道ミサイルは射程500キロ以内では飛行時間は5分程度で、巡航ミサイルは低速のため同距離だと数十分かかるという。
運用方法は、特殊部隊を乗せた中国艦艇が尖閣に接近すれば近隣海域に弾道ミサイルを着弾させ不法上陸を遅らせる。不法占拠された場合でも、増援艦艇の展開を防ぎ、陸自部隊の迅速な奪還作戦を支援する。
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まずは戦争に対するイメージの転換を求む。
軍備増強というと、さも
「さあ、これから戦争だ」
このように思う人もいるだろうが、
実際はその逆で、戦争をしないために軍備は必要不可欠となる。
「こちらが殴れば、逆に殴られる」
この意識が大切で、こちらが殴っても相手は殴り返してこないとわかると、逆に相手は得意になって殴ってくる。
戦争とはそういうものだ。
「軍備増強による平和は本当の平和ではない」
そのように反論する人はいるだろう。
では、チベットはどうなったか。
東トルキスタンはどうなったか。
内モンゴルはどうなったのか。
たいした軍備を持たなかったので、
今や全て支那に併合されてしまった。
軍事力をおろそかにすると、
このように祖国を失ってしまう人びとも出てくることがある。
もう一つ人が死ぬというイメージの転換を求む。
戦争というと、人が死ぬイメージがあるが、
私の理解で言えば、戦争ではあまり人は死なない。
もちろん、全然死なないわけではないし、
それなりには、人が死ぬ。
では、私が言う「人が死ぬ」とはどんな時なのか。
それは圧倒的なまでに、対立する両者に力の差があり、
強者が弱者に対して、まるで人がアリを踏みつけるが如く、
人を殺していく時に、多くの人が死ぬ。
つまり虐殺だ。
アウシュビッツを思い出して欲しい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所
トゥールスレンを思い出して欲しい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/S21_(トゥール・スレン)
人が多く死ぬ。それは戦争と言うよりも、私の理解では、占領下における一方的な虐殺でこそ、人が多く死ぬのだ。
そうなれば、我々日本人が気をつけなければならないのは、
極力戦争を避けることでは無く、
占領されることこそを、まず第1に避けなければならない。
支那の発想は、
「反撃されなければ、どんどん進んで良い」
このような考え方だ。
今の尖閣諸島を見て欲しい。日本は支那の船舶を追い返すだけで、攻撃しようとしない。攻撃しようとしないからこそ、何度も何度も領海侵犯を繰り返す。
日本はこれまで、何度も何度も警告をしつづけてきた。それにも関わらず、支那船籍の船舶が領海侵犯を続けるというのならば、日本は毅然とした態度で彼らの船舶を捕まえるなり、沈めるなりしなければならない。
そうしなければ、いつまで経っても支那は干渉をつづけてくるだろう。
そう
「反撃されなければ、どんどん進んで良い」
彼らは殴られるまで、我々日本人の意志を理解しようとしないのだ。
占領されることを避けようとする限り、我々日本人が虐殺されることはない。
では、もう既に占領されてしまった国々は、どうなってしまったのか。
チベットはどうなったか。
東トルキスタンはどうなったか。
内モンゴルはどうなったのか。
支那において、死刑が多いのは、侵略して併合した領土の住民を、国内法によって、政治犯として裁いているからこそ、死刑囚の数が諸外国に比べて圧倒的に多くなっている。
死刑というと、さも大量殺人を犯したような極悪人ばかり想像するかも知れないが、国家にとっての極悪人とは、何人も人を殺すような人では無い。国家の体制をひっくり返そうとする、そのような人物こそが、国家にとっての極悪人になる。
今の支那は、何も戦争で人を殺しているわけではない。
チベットや東トルキスタンや内モンゴルの住民は、支那によって、領土を勝手に占領され、それに反発して、各地で反乱を起こすことで、支那により犯罪者にされ、そして死刑になるのだ。
虐殺は、支那の国内法に則って、合法的に今も行われている。
よく「死刑反対」を唱えると、
あれだけ人を殺して、死刑反対とは、
殺された側の人の気持ちがわからないのかと反論され、
日本では否定的に考えられることが多い。
しかし目を日本国内から、支那に向ければ、
死刑にされた多くの政治犯のことを考えても、
そう簡単に、死刑執行を肯定できない理由がそこには充分にある。
つまり、死刑を肯定する日本人は、知らず知らずの内に、日本を支那化させようとしている事実から、目を背けてはならない。
日本では馴染みが薄い「政治犯」の存在を真摯に考えればこそ、欧米文化のように、死刑を廃止したり、死刑を厳密に運用し、慎重に執行することと、その国がめざす政治体制が、密接に関係していることがおわかりいただけるだろう。
我々日本人がめざす国家は、支那なのか、それとも欧米なのか。この件に関して、私は支那化していく日本文化を断固拒否する。
さて、前置きが相当長くなったが、本題である。
沖縄における基地問題は、とても悩ましい問題だ。
今の地政学的に言えば、尖閣諸島がこれだけ問題となっている時に、沖縄に軍隊がないということは、支那に対して、
「どうぞ侵略してください」
と言ってしまうようなもので、到底認められない。
沖縄県民のご苦労には心を痛めるが、
支那に侵略され、占領されてしまえば、
心を痛めるだけでは済まない不幸が、
沖縄県民を苦しめることとなるだろう。
さりとて、沖縄県民の言う
「日米安保は支持する。しかし、なぜその負担を沖縄ばかりに負わせるのか」
この言葉は非常に重い。
私も「なぜ沖縄だけに」と言われれば、
「それは地政学的に支那に最も近く、現実的に侵略される可能性が一番高い地域だから」
このように答えるしかなかった。
しかし、それで良いのかという自問自答は残っていた。
では、どうしたら沖縄の軍事的負担を軽減し、
かつ沖縄を含む日本の国土防衛に寄与できるのか。
それに対して、私は1000㎞級の弾道ミサイルの配備を九州にしてはどうかと提案する。
そうなると、尖閣諸島を仮に侵略されたとしても、そこは九州を中心に考えれば、1000㎞圏内にギリギリ入る。
尖閣諸島を侵略しようとする艦船に対して、効果的な反撃を加えることができる。
あくまでも日本国内を守ることを目的とした弾道ミサイルではあるが、
九州を起点に同心円を描いてみれば、はからずも朝鮮半島や上海もその射程距離に入る。
それだけで勝手に中韓が、脅威を感じてくれれば、それは戦争抑止にとても効果がある。
通常、他国との国境周辺に軍事力を展開することは常識といえる。
ロシアの人口は1.43億人。世界一の面積を誇り、広大な土地があるというのに、日本の人口である1.3億人のたった1.1倍しかない。
しかし、ロシアの国境警備が手薄だというイメージはない。むしろそれは強固であり簡単に他国が手出しできない防衛体制が敷かれている。
どんなに人口が少なくても、日本がそう簡単に北方領土に対して手が出せないのはそのためだ。
ロシアは少ない人口でありながら、国境周辺に軍隊を効果的に配備することで、国土の防衛を機能的に行っている。
もちろん、日本においてもロシア同様に、国境周辺を守るべく、戦力を効果的に配備すべきなのだが、弾道ミサイルがあれば、必ずしもその配備を国境周辺に手厚く展開する必然性は薄くなる。
これまで沖縄の国民により多く求めてきた軍事的負担も中距離弾道ミサイルの配置によって、大きく様変わりする可能性が、ここには秘められている。
今は、参議院選挙まっただ中である。選挙戦を通じて、国会議員および、候補者には、この様な議論を、もっと活発に行っていただきたい。
国会議員が国会議員らしいことをしないと、地方議員が国会議員的な主張をしなければならない事情を、真剣に考えていただきたい。
2013年07月08日