田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

やはり高速道路は完全無料化が正しい選択

 高速道路の無料化論を言うと、必ず「それは高速道路を利用しない人に対して不公平だ」という反論が出てきました。車を利用する者だけが得をして、車を利用しない者、高速道路が近くにない者、あえて高速道路を利用しない者などが、これまでずっと反論を続けてきました。


 つまり受益者負担よろしく、高速道路を利用した者が、その利用分の負担をしろという考え方です。


 しかし、この受益者負担という考え方は、一見正当な主張に思えますが、論理としてはくせ者です。
 それでは、この世の中にあって、高速道路以外でも受益者負担ではないものないのでしょうか。


 福祉や教育など、受益者負担と言い出せば、その制度自体が成り立ちません。
 所得の再配分という機能の元、同時代を生きる者同士として、所得の社会的格差を少しでも解消するための働きが、福祉や教育にはあるのです。そこに受益者負担という発想そのものがなりたちません。
 同様に、誰もが利用する社会資本については、一つ一つ受益者負担を追求しません。
 自宅を一歩でも外に出ると、そこには公共の道路があります。その道路を歩いたからと言って、道路建設にかかった費用を受益者負担として請求はされません。道路に植えてある木々も、それを見る人に安らぎを与えると言うことから、見た人から木々を維持する費用を取っていません。
 街の公園に入って、そこの入園料を一々払うような小さな公園はありません。


 この様なことを言い続けると、本当に馬鹿馬鹿しい些末なことまで言い出さないと徹底はできません。


 そして、高速道路もまた、広く公共物として、誰もが使って良い道路なのです。ただその対象者が、歩行者なのか、自動車なのかの違いであって、多くの人が利用する施設であることに変わりはありません。正に社会資本なのです。だからこそ、高速道路は、本来無料で通行できなければおかしな施設なのです。


 しかし、悲しいかな、日本人は、そのほとんどが産まれてから何ら感動することなく、不思議だと思うことなく、テレビを見続けてきました。
 それと同様に、日本人は、そのほとんどが産まれてから、何ら不満を言うわけでもなく、不思議だと思うわけでもなく、有料道路制度を当たり前だと思って知っていました。


 習慣とか刷り込みには、恐ろしい現状維持の力が働きます。これは政治による一つの悲劇です。「高速道路は有料」と洗脳され続け、何ら疑うことを知らなかったために、不当に私有財産をかすめ取られてきた国民の悲劇がここにあるのです。


 これは私の発案ではありませんが、「全ての道路は有料道路だ」と考えられると発想した人がいました。
 なぜならば、ガソリンは税金の固まりです。現在、1リットルあたり53.8円の税金が課せられています。しかも、1リットル100円前後する価格には、消費税が加算されるため、更に5円前後の税金を支払っているのです。
 つまりトータルすると、1リットルのガソリンを買うと約60円の税金を支払うことになるわけです。車とはガソリンを使って進む乗り物です。(ディーゼルなども、課税が低いだけで、主旨としては同じ)ですから、どのような道路を進んでいようとも、ガソリンを消費しながら走る車に乗っている以上は、税金を支払っていると考えられるというわけです。
 1リットルで10キロメートル走る車があったとしたら、その車は、全国、どこの道路を走ろうとも、10キロメートル走るごとに60円を支払う有料道路に乗っていると考えられると言うことです。


 この発想は、とても面白い発想です。つまり、あえて高速道路を有料化しなくても、既に我々は、自動車を使っている以上、有料で道路を利用しているのです。これは税金を支払うか否かという点だけで言えば、歩行者・自転車と車の決定的な差でしょう。


 このように、車を利用している者は、決して、無料でこの世の中に存在しているわけではありません。道路を利用するにあたって、既に税金を納めているのです。それなのに、更に高速道路の有料化を維持し続けて、有料化に有料化料金を重ねるような、まるで消費税のような二重課税をしているのです。


 この様な制度上の複雑さと不合理を問題とすれば、今は高速道路1000円と言う状況に甘んじていますが、将来的には、完全無料化を実現することこそ、国民の利益にかなっていると断言できます。

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2009年04月22日