利己的な中国人女性を非難する
アシアナ航空事故、トランク持って逃げた中国人乗客に非難=中国
2013/07/08(月) 10:56 サーチナより
中国メディア・中国網は8日、米サンフランシスコの空港で発生したアシアナ航空旅客機炎上事故で、ある乗客がトランクを持って機外に脱出した様子を撮影した写真が物議をかもしたことを報じた。当事者はトランクに「お金が入っていたから」と釈明したという。
記事は、乗客として事故機に搭乗していた韓国・サムスンの幹部が機外脱出後に撮影した写真の中に、緑色の服を着た女性がトランクを持ったまま機体から離れる様子が写りこんでいたと伝えた。
そして、「命知らずな女性に対して、インターネット上では多くの非難の声が寄せられた」としたうえで、中国の航空関係者も「荷物を持ったままの非難は避難経路を塞ぎ、秒単位で求められる避難スピードが遅くなるなど、より重大な事故を生じさせることになる」と説明したことを紹介した。
記事はさらに、トランクを持って脱出した本人が微博(ウェイボー、中国版ツイッター)で「家族3人が1列に座っていたので、荷物を取り出しても通路を妨害することはなかった。パスポートやお金がすべて荷物に入っていた。事故当時、機内があまり混乱していなかった」と釈明コメントを出したことを併せて伝えた。
一人の身勝手な行動で大事に至らなかったのは、ほかの乗客が身勝手な行動を取らなかったからにほかならない。ネット上で堂々と言い訳するところを見ると、女性に罪悪感はなかったようだ。(編集担当:今関忠馬)
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利己的な人はどの世界にもいる。
日本人の中にも利己的な人はたくさんいる。
しかし、日本では、日本人では、この様なことはありえないと誰もが言うだろう。
私もそう思う。
でもそれは、日本人の倫理性がとりわけ高いからという理由では無い。
日本人社会にあっては、「和」が尊ばれる。
和を乱した者は、それだけで罪になる。
和を乱した者の言動の善悪が問題視されるのではなく、少数であると言うこと自体に、罪が内在される。
日本人がこの様な事件をまず起こさないのは、
① 素直であること
② 全体の調和を重んじ、人とは違った行動をしにくいこと
③ その場は良くても、事後、日本社会から批判されたら生きていけないこと
しかし、それは全て「自分は誰か」が他人に対して、ハッキリしている場合であって、他人を気にしなくて済む匿名社会では、日本人であっても、むき出しのエゴが社会性を壊していくことは充分に考えられる。
一種の日本特殊論になるのだろうが、
自分が日本人であるからこそ、それはよくわかるし、
外国人にはわからなくても、日本人同士なら、
何をか言わんことが、わかると思う。
これを私は文化という。
この様な文化は、その国の外国語をマスターしたからと言って、一朝一夕に身につくモノではない。
この様な事件があると、
「この人が日本人でなくて本当に良かった」
と、心の底では、きっと思う人も多かろう。
他者という概念は、自分以外の人と言う枠組みを超えて、
日本人全体を「自分」と見立て、
外国人全体を「他者」と想定し、
その他者から、非難されない自分を持って良しとする思考回路が、
日本人の中にある。
日本人が非難されると言うことは、
それは自分とは全く関係が無い日本人であっても、
まるで自分自身が言われているかのように反応し、
厳しい態度を持って、「自分たる日本人」に接する。
「国の恥」
という言葉があるように、
我々日本人は、自分たちが国の恥にならないように、
気をつけながら、怯えながら、日々暮らしている。
非常に平和的な民族だとは思うが、
だからこそ人とは違ったこと、
思い切った大胆な行動を取る人は少ない。
長所と短所は、まるで一組の夫婦のようになって存在する。
さて、今回の事件に知って、アニメ「進撃の巨人」第6話を思い出した人は多いだろう。
そこでは、人を食う巨人が迫ってくる恐怖の中で、
安全な壁の中に非難すべく、多くの人びとが殺到しているにも関わらず、
馬車に積んだ自分の荷物を、我先に通そうとする富豪の様子が描かれている。
アニメの中では、圧倒的な力を持つ、ミカサという名の女性が、
巨人を倒し、その後、富豪をいさめたため、馬車を退かせ、
多くの人々が壁の中に非難できた。
今回のアシアナ機の事故にあって、ミカサのような人物は現れなかったのだろうか。
その場にあっては、利己的中国人女性を殴り倒してでも、強制的にトランクを手放させなければならない。非常時においては、たとえ暴力であっても、その人の罪は誰も問えないのではなかろうか。
「愛国無罪」ならぬ「尊命無罪」の精神だ。
2013年07月09日