「面倒くさいことはしたくない」欲望
婦人公論 5/7付 P17 鹿島茂「女のニュース 男のニュース」より
鹿島氏の説によると、資本主義の原動力とは「贅沢をしたい」に支えられてきたと言います。
しかし、その「贅沢したい」欲望も、サブプライムローンが破綻してからは、随分と縮小してきたようです。そのサブプライムローン自体、大きくて広い家に住みたいという自分の収入に見合わない「贅沢な願望」が過剰融資につながり、破綻するわけです。
氏は、「贅沢したい」欲望以上に、資本主義を突き動かす原動力を「面倒くさいことはしたくない」欲望だと断定します。世は、如何に面倒くさいことをしなくていいのか。面倒くさいことを避けて通るのか。そのような人間の根源的欲望がある限り、日本資本主義は安泰だと説きます。
一つの具体例として言えば、どんなに優れた掃除機を買うよりも、掃除代行業を頼みたいという欲求のようなものだと言います。
家庭において面倒くさいことの象徴とは、育児・教育・介護だと言い、そこに資金が割かれるというのです。
このエッセーを読んだとき「なるほど」と思いました。
「面倒くさいことはしたくない」
だからこそ育児や教育や介護は、行政にその尻ぬぐいを求めているのかと。
「働くなんて、そんな面倒くさいことはしたくない」
だからこそ引きこもりやニートが増えてくるのかと。
「育児・教育なんて、そんな面倒くさいことはしたくない」
だからこそ出産をしなくなったのではないかと。
「恋愛・結婚なんて、そんな面倒くさいことはしたくない」
だからこそ草食系男子なるものが増えてきたのかと。
「面倒くさいことはしたくない」というたった一つのキーワードで、
社会全体を論ずることは、非常に暴論で正確な議論ではないと思います。
しかし、これによって、今まで見えてこなかった物が見えてきたのも事実でしょう。
社会をどのように認識するかによって、その対応も違ってくるのです。
もし「面倒くさいから」日本で子どもが産まれない社会になったのだとしたら、どんなに教育にお金をかけようが、保育園を充実させようが、それらは入口論からして社会のあり方を読み間違っているのです。従来から私が言い続けてきたように、構造的な根本原因を問わない限り、どんなに子育てしやすい環境を整えても、合計特殊出生率が向上することはあり得ないのです。
またそのような根本原因を問うたところで、現代社会では政策誘導によって合計特殊出生率が向上することはなく、むしろこの現実を受け入れ、出生率向上をあきらめた上での社会づくりの目指すべきなのです。
人は同じ物を見ていても、認識は全く違うことが多々あります。
豚を見て、かわいいと思うのか。
おいしそうだと思うのか。
汚いと思うのか。
恐ろしいと思うのか。
その時々、人それぞれです。
「面倒くさいことはしたくない」欲望。あると思います。
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2009年05月05日