それでも私は、高速料金の1000円化を支持する。
長年、高速道路の料金値下げ運動に関わってきた者の一人としては、自分の苦労(運動に長い時間を費やしたことと、逮捕されたことなど)と現実を秤にかけると、自らの目標とはほど遠いものの世論が、自分の主張していたベクトルを向いてきたことだけでも評価してしまうのです。
実力行使も否定しないという意味で言えば、一部過激派のように思われている私などは何でも評価点が低く、すぐに認めてしまう自称穏健派なのですが、今になって、この高速道路料金の1000円化に対する批判が相次いでいます。
「高速道路料金を安くするのは反対」のようなベクトルが違う批判に対しては激しく反発しますが、私が主張するように、無料化が望ましいとか、平日にも1000円化をとか、ETCが無くても割引にすべきだという高速道路の料金値下げを加速し、平準化する批判には共感します。
その批判のほとんど全てが、私自身の批判でもあるからです。
確かにあらを探せば問題山積の高速道路料金の1000円化ですが、評価点が低い私としては、ここは素直に歓迎します。
現状の1000円化を全て良しとして、認めたわけではない。
決して、高速道路の全面無料化をあきらめたわけではない。
しかし、高速道路行政において、初めてと言って良いほど「料金が下がる」という逆ベクトルで社会が動いた意味を大いに評価したいのです。
高速道路の料金制度が問題だと主張するだけで、「(福祉や教育など)他にもやることはたくさんあるだろう」と言われ続けてきた政治家としては、非常に感慨深いわけです。
いにしえより「大国を治むるは小鮮を烹るが如し(たいこくをおさむるはしょうせんをにるがごとし)」と言うではありませんか。
一度事が動いてしまえば、急がず、焦らずゆっくりと、その果実の実を期待して、国民皆で味わいたいと思うわけです。来年はもっとおいしい実ができるかもしれない。再来年はもっともっとおいしい実ができるかもしれないと信じながら。
別に旗を降ろしたわけではないのですが、ここまで世論による高速道路への興味関心が高くなり、実際に不充分ながら料金の値下がりが確認された時点で、私の仕事は半ば終わりなのかなとも思っています。
世の中には、まだまだ日の目を見ない主義主張がたくさんあります。
かつては、喫煙問題も高速道路料金の問題も、そのような分野の問題でした。
しかし、今は違います。
私は私の存在意義として、今まであまり政治で取り上げられなかったような主義主張に、太陽の光を当てることを仕事にすべきなのかと思っています。私にしかできない何かとは何だろうかと思うわけです。
日本には、まだまだ人口が増えた方がいいと信じている人たちがいます。
土地の有効利用と称して、もっともっと都市を過密化させようとしている人たちがいます。
冤罪の可能性を疑わず、被告人には重罪を科すべきだと信じている人たちがいます。
私はそのような、まだまだ主流とはなりえない、いや奇妙な主張としか思われないようなことでも、私が正しいと信じれば主張し続けます。
それによって、同志が増え、社会が変わっていくことを願っています。
将来、果実が実ったとして、その果実を私自身が食べられなかったとしても、後進の誰かが食べてくれれば、それでいいと思うわけです。そう自分を納得させて、仕事を続けていくことでしょう。
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2009年05月08日