田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

おいら(学術的ではない、全く個人的な言葉への探求)

 私的な場所における会話でのこと。
 私が一人称として多用する「おいら」という言葉遣いはおかしいとの指摘を受けた。「ら」が付く言葉は、複数形だから、自分一人を指す言葉としてはふさわしく無いとの理由だった。そのときは「はいはい」と流してしまったが、普段自分が多用する言葉であり、それが誤用だと指摘されると、自分の言葉が自分で無くなってしまうようで、違和感を覚えた。

 私ら、僕ら、君ら、のように「ら」を抜いても、私、僕、君のように単独で単数形を指し示す言葉として成立している言葉には、「ら」という複数形をつけることができる。
 しかし、おいらの場合、おいという単数形は示す言葉はないから、「おいら」が一括りで単数形を示す言葉として認識されるべきである。
「おくら」や「かつら」の「ら」を抜くと、「おく」や「かつ」のように全く関連する意味を持たない言葉になってしまうのと同義だと考えたのだ。
だから、「おいら」という言葉を、私と同義の一人称として使うことは間違っていない。
 私はこのようにも考えた。

 しかし、これも正しくないようだ。現代日本ではそれほど使われていないが、「おい」とはそものもが一人称で、俺と同義の言葉だという。それならば、「おいら」という言葉は、普通に「私たち」を意味するはずだが、「おいら」を「私たち」の意味で使っている文章を目にしたことはない。

 それならば「おい」という言葉が、方言や古語の類だと仮定して考えてみよう。そう考えることによって、その地方のまたは昔の日本における「私」観というものを想像できないだろうか。

 いにしえでは、個としての私という概念が確立してないかったと考えてはどうだろうか。
 一は全。全は一。
 それが「おいら」をして一人称としての意味を持たせたのではないのだろうか。

 日本国憲法第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。


 私の持論からすれば、憲法の精神からして、この日本にあって、議員と首長だけが、真の公務員といえる。なぜならば、この両者だけが、国民から直接選ばれるからである。または選ばれないこともあるからである。

 どんなに高級官僚であっても、国民が任意に罷免できない公務員は公務員ではない。
 それは憲法の主旨から言って、全くおかしな話なのだ。
 逆に、国民から選ばれた人とは、それほどまでに重い存在だと言える。

 最近、同僚議員から、役所の職員が、議員を議員として扱わず、無礼な対応をして困っているとの話を聞いた。全く以て、失礼な話である。議員に対して失礼であるとは、これ即ち国民、有権者に対しても失礼な職員ということであり、即刻おやめいただきたい。
 しかし、現実には、議員でさえ、そのような職員や辞めさせる直接的手段は持っていない。
そう。国民の意志とは関係なく、官僚なり役所の職員は存在している。
 そこに大きな違和感がある。
 常に、行政は、国民のコントロール下になくてはならないモノなのだから。

「おいら」という言葉の探求から、議員として、公務員として、「私たち」全体を「私」として考える立場との思いを強く持ちながら、これからも仕事を続けていきたい。


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2009年05月12日