明治大学での集会に参加
5月16日(土) 13:30~16:30 明治大学にて
「貧困と監獄 ~厳罰化を生む『すべり台社会』~」と題する集会に参加してきました。
集会で語られた情報の中で、興味深い事をお伝えします。
日本において殺人による死亡者は年間600人。
殺人事件は減っているのに、刑務所人口は増えている。
この世の中は「刑罰を犯す人 vs 犯罪を受ける人」のような考え方で成り立っていて、対立する二者が全然別人種であるかのような考え方をしている。
しかし、現実には、犯罪を犯す人は、犯罪を受ける人でもあり、犯罪を受ける人は犯罪を犯す人にもなりうる。
警察統計によると、犯罪指数と刑務所人口に相関関係はない。
(つまり、犯罪が増えたから、刑務所人口が増える。犯罪が減ったから、刑務所人口が減るという比例関係にはない)
福祉予算が少ない国歌では刑務所人口が多く、福祉予算が多い国では刑務所人口が少ない。つまり相関関係がある。
犯罪対策が貧困対策より優先する国ほど刑務所人口が多い。
自己責任を強調し、個人主義の強い国ほど刑務所人口が多い。
多党制よりも二大政党制の国の方が、刑務所人口が多い。
つまりそれは、合意形成よりも多数決民主主義を重視する国ほど、刑務所人口が多い。
人や制度に信頼が乏しいほど刑務所人口が多い。
司法官僚の養成課程に犯罪学が教えられない国ほど、刑務所人口が多い。
刑務所人口=凶悪犯+貧困層
この様な図式で成り立っている。
財政的な効率性から言うと、貧困層を刑務所に送り込むよりも、生活保護をしっかりした方が、財政的な負担は少ない。試算では、その差は3倍。
検察官にできることは正義を守ることであって、治安を守ることはできない。
変に検察官が、日本の治安を守ろうとすると、できることは厳罰化しかない。
一部の国では、刑務所が減っている。それは財政的な負担に耐えられなくなったから。
犯罪被害者に対する支援が、厳罰化に向かわせているのではないか。
刑務所=強制的な福祉施設
相互扶助的な福祉施設を作ろうと思えば、それは刑務所とは違った施設になるはず。
民間経営によって、刑務所がビジネス化している。
貧困によって生み出される軽犯罪は、どんなに厳罰化しようとも、現世において食べられない、生きていけない以上、再犯するしかない。それは刑務所こそが、福祉施設である実態を表している。
よって、今、社会に必要なのは、刑務所ではなく、刑務所に代わって、お金が無い人であっても、最低限の生活でできる施設である。そこで貧困層を保護することができれば、社会にそれほど多くの刑務所はいらない。
確かに、強制的な福祉施設である刑務所に入って、自堕落な生活が改まると言うことはあるだろう。酒が飲めない。タバコが吸えない。夜更かしができない。食べ過ぎができない。のような生活は刑務所内ではできない。
よって、もっと相互扶助的な福祉施設であっても、自堕落な生活に陥らないよう、半強制的な「望ましい」一日を遅れるようなタイムテーブルは必要だと考える。
それでも、彼らのような貧困層に必要なのは絶対に刑務所ではない。
財政が厳しくなれば厳しくなるほど、生活保護に対する風当たりが強くなるが、日本においては、これほどまでに自殺者が多く、刑務所人口が増えてしまった現状から鑑みて、最低限の福祉水準を上げることは、財政的な負担を少なくするためにも、必要不可欠だと思う。
にほんブログ村
2009年05月18日