少数者の立場を背負ってこそ(マニフェスト型選挙の陥穽)
昨日は、同僚の上田令子議員のバースディパーティがありました。さすがに期待の新人議員だけあって100名近い支持者が集まりました。
そこにお呼ばれして行ってきたわけです。顔見知りの支持者の方とお話しした内容をお伝えします。
今の上田議員が置かれた立場と私が置かれた立場は似ています。それは共に一人会派だと言うことです。議会の中では、一人であることだけで、江戸川区議会では、差別される対象となります。一般質問は、年20分しか認められませんし、予特・決特という重要な会議には、江戸川区のみならず、23区の議員の中で、我々2人だけが出席できません。
それだけでも、どれだけ江戸川区議会が暗黒議会であるかの証明なのですが、まるで北朝鮮のように、内からの批判も、外からの批判にも、全く答えようとせず、独自路線を進んでいるのが、江戸川区議会の現状です。
その中にあって、今の江戸川区議会はおかしいと訴え続けている一人会派の我々は差別され続けているわけで、同じ境遇にある議員であります。
安易に多数会派に所属すれば、それによって自分一人は、一人会派差別から逃れられることはできますが、それは問題の根本を解決したことにはなりません。
自分が差別されなくなったからと言って、議会内差別がなくなったわけではないのです。
そのような諸事情を充分承知されている支持者の方とお話をしました。
私は、自分が一人であるからこそ、少数者であるからこそ「魂の主張」ができると言いました。多数派の中にいると、多数派の意見が、さも自分の主張であるかのような錯覚をしてしまいます。しかし、それは自分の主張ではなく、「借り物の主張」です。
衆院選挙を中心にマニフェスト型の選挙になりました。二大政党制になって、日本には事実上、たった二つの政党しか政権を担える政党はなくなりました。
私はマニフェストを否定はしません。むしろ有権者と候補者との選挙前に行う事前契約であるとして、当選後はその事前契約に縛られて政治活動をすることも悪くはないと考えます。
しかし、それによって失われたことにも思いをはせるべきでしょう。首長選挙では、首長の主張とマニフェストが一致するでしょうから問題は少ないはずです。しかし、衆院選挙のように多くの候補者を抱える政党が行うマニフェスト型選挙では、政党の主張と候補者の思いが、どうしても一対一対応しません。
党首をはじめとして政党幹部の主張とマニフェストは、それほど違いはないかもしれません。それでも、何十人、何百人も候補者や党員がいる政党の主張をそれぞれ事細かく、完全一致させるなどと言うことは、最初から無理なフィクションなのです。
人間を何だと思っているのでしょうか。
それにも関わらず、政党はマニフェストを無理強いする訳です。これによって、どのような現象が起こるかと言えば、候補者が、気合いの入らない「借り物の主張」をするわけです。ペットにならなければ、公認という餌がもらえませんから、ここは一つ従順になるしかないのです。「魂の主張」からはほど遠い「借り物の主張」なぞ、聞いていてバカらしくなります。
自分の主義主張と近いとか、遠いという遠近を問題にする以前の話です。もうその人は根源的意味で言えば、政治家とは言えません。そのような政治家を育てるのが政党だとするならば、政党は、根本的なところで、何かを間違えて運営されているとしか、私には思えないのです。
候補者全てが、政党の代弁者となって、個が見えなくなってしまいます。
魅力ある候補者などと言ってはいますが、政党は最初から、候補者に「個」を求めていません。政党に従順なロボット候補者を求めているのです。そこに「魂の主張」が最初から、期待できるのでしょうか。
もし私が政党の候補者となった場合は、政党のマニフェストはこう言っているが私の主張はここが違うと、違う部分を必至にアピールするはずです。しかし、普通の政党はそれを許しません。有権者も、一般的な政党の主張に興味を持ち、「個」には興味関心を持たないかも知れません。「個」は政党にとって邪魔なだけなのです。有権者にとっても、時に分かりにくいものなのです。
(よって、私は政党公認の候補者にはなれないのです)
しかし、政治家にとっての魂とでも言うべき主義主張・政策とは、少数者の立場を背負ってこそ、異彩を放つものです。人の意見に反対する。少数者になる。時間がかかる。お金がかかる。生命に危険が及ぶ。逮捕される可能性が高くなる。
様々な不利な状況を背負っても尚、信念に裏打ちされた主張ができれば、それこそが、「魂の主張」なのです。これは多数派の中にいては、真に見えてきません。
少数意見に耳を傾けるというのは、違った意見に触れることによって、自分の主張を再確認する意味でも貴重なことです。多様な意見を政策に反映できなくても、多様な意見を表明できる議会の方が良いに決まっています。
私は、これからも少数者を意識して主張を続けていきます。少数者が差別されない議会を作り上げるためにも、「損な役回り」をする人が、せめて一人でも二人でも議会にいなくてはならないと思うからです。
「野党が存在しない国家では、国民の権利は守られない」
このことを信念にして、議会運営に参画していきます。
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2009年05月22日