美学と処世術
処世術というと聞こえが悪いようですが、ようは勝ち続け生き残っていく術とでも言い換えると、実は私たちが日々行っていることのほとんどは処世術と言えるでしょう。
勝負の世界に美学を持ち出すと、たいていの場合は負けます。
けんかは素手で行わなければならない。
一対一で戦わなければならない。
後から襲ってはいけない。
これ全て戦術ではなく、美学です。
美学を貫いても勝てるのは、アニメに出てくるヒーローとヒロインぐらいなものです。
さて、世を見渡すと、戦国時代と三国志の物語にあふれています。
NHKの大河ドラマでは、直江兼続を題材にした「天地人」が放送されています。
あくまでもドラマですから、美学が貫かれることによって、主人公の人となりを説明することでしょう。
しかし、この様な命のやり取りをする時代こそ、美学では通用しない処世術に長けていないことには、生き残れなかったことは間違い無いことです。
直江兼続が、石田三成と友情にも似た関係を築き、関ヶ原では西軍に加わったことは有名な話です。
しかし、結果、負け組となったことで、その後生き残りをかけ、どのような処世術を行ったのでしょうか。
直江兼続は、徹底して、石田三成を悪者に仕立て上げ、石田三成にそそのかされて西軍に加わったのだと弁明しているそうです。よって、自分たちは免罪して欲しいと。
詳しくは、三池純正「敗者から見た関ヶ原合戦」を。
現在の日本の政治に目をやれば、離合集散は当たり前。昨日の敵が今日の味方。今日の味方が明日の敵。そんなことはいくらでもあります。小沢一郎という政治家を中心に日本を政治を見ているだけでも、敵味方がこれほどまでにめまぐるしく動くのも珍しくありません。
機を見て敏に動かなければ、命のやり取りこそないものの、自分の立ち位置によって、政治生命を絶つ者、数知れず。
仲間がずっと仲間でいるということはないのです。
また敵がずっと敵のままでいるということもないのです。
議員は所詮、4年、4年の命なのです。
佐藤優氏は、北朝鮮に対して「交渉の窓口となるチャンネルは確保せよ」と説いています。日本は北朝鮮に対して怒っているのだから、一切の交渉を行わないというのではなく「怒っている」と言うメッセージが確実に相手に届くような交渉窓口は残しておけといいます。
時には味方でさえも信用はしてはいけない。
時には敵とも裏で通じていなければいけない。
昔も今も、正に生き残るというのは、一筋縄ではいかないものです。
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2009年05月29日