政治家は嘘をつく
同業者、または同業者に近しい人たち以外とお話をすると、面白い発見がある。
彼らを「一般人」とでも仮定しよう。
一般人は、「政治家は嘘をつく」「政治家はお金に汚い」そのようなイメージを持っているようだ。
そのようなイメージができあがってしまった背景には、根拠となる様々な事件があったからであり、帰納的推論により、一般化されたイメージとは、マスコミによって流布され、一般人に定着する。
「政治家が嘘をつく」という命題に対する反語は、「政治家は嘘をつかない」または「政治家は正直である」ということになる。
では、「人間は嘘をつく」という命題に対する反語は、「人間は嘘をつかない」または「人間は正直である」ということになる。果たしてそれは正しい命題か。
つまり「人間は嘘をつく」という命題が正しいとすれば、人間の部分集合でしかない「政治家も嘘をつく」のである。これが当然の帰結である。
「人間は正直である」との命題が正しいならば、人間の部分集合でしかない「政治家は嘘をつく」は間違いである。「政治家も正直」こそが当然の帰結となる。
そのようなことを私が言うと、一般人は、「あのような嘘はつかない」と同じ嘘であっても、「あの嘘」「この嘘」と嘘の種別を行う。
この、「あの嘘」「この嘘」とは、政治家としての立場上の特徴に由来することが多い。たとえば、TVに出て嘘を言う。(一般人はTVには出られない)街頭で嘘を言う。(一般人は街頭で演説などしない)
非常に恣意的で権力的な、境界線を持ち出して、区別する一般人に、権力者の立場を見ることとなる。
ここまで来ると、「あなたは政治家なのだから、同じ嘘でも、一般人の嘘とは違う」ということになり、暗黙の内に、政治家の嘘は断罪され、一般人の嘘は免罪される。
同様に、嘘をつくかどうかはともかく、私は同業者にあって、「お金に汚くない」政治家を知っている。つまり「政治家はお金に汚い」という命題に反証できる。
そのような場合は一般人によると「その人は例外である」となってしまう。
「人間の足の指は5本である」
この様な命題に対して、事実は、まれに6本指の子どもが産まれてきたりするらしい。そのような子どもには、産まれてすぐに一本切除して、5本にしてしまうと言う話を聞いたことがある。つまり「足の指が6本」とは例外として扱い、以後無かったこととする。よって、
「人間の足の指は5本である」
この命題を正しいと思い込む。
これと同様に、政治家でお金に汚くない人がいたとしても、それは例外であり、
「皆、政治家はお金に汚い」というイメージができあがる。
では、一般人は皆、お金に綺麗かと言うとそうではない。汚い者もいるし、綺麗な者もいる。それと同じように、政治家にも、一般人と同程度のお金に汚い人もいるし、綺麗な人もいるのである。そう考える方が、より事実に近いはずなのだが、そうは思ってもらえない。
多分、一般人の頭の中は、この様な思考回路になっているのではないだろうか。
あなたと私は徹底して違う。この様に考える限り、「あなた」(=ここでは政治家)に対しては、徹底して断罪し、「私」に対して、徹底して免罪する。
つまり政治家がやっているようなことは、同等のことを一般人も行っている。とは考えないのである。
これは犯罪者に対しても、全く同じ思考回路になっている。「あなた」(=ここでは犯罪者)は間違っている。「私」は正しい。
こう考える限り、一般人に厳罰主義志向が強くなってしまうのも、仕方が無い。
こればかりは、どんなに説明しても、本人が体験しないことには、考え方が改まることは難しいだろう。高度な想像力を必要とする作業だから、それを持たない人には、とても難しい作業なのだ。
しかし、安心して欲しい。昨今の警察・検察には、微罪逮捕・長期勾留が流行している。
読売オンラインによると以下のような報道があった。
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タレントの原田伸郎さん(57)が、びわ湖放送(大津市)のテレビ番組で許可なく猟銃を手に取ったとして、滋賀県警が、同放送本社を銃刀法違反容疑で捜索していたことがわかった。
県警は今後、原田さんからも同法違反容疑で事情を聞く方針。
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逮捕こそなかったものの、何かあればすぐさま警察は、飛んでくる。場合によっては逮捕する。
そう、あなたは、「あなた」(=ここでは犯罪者)となって、「私」(=ここでは、何ら罪のない一般人)では無くなる可能性が高いのだ。
そうなって初めて、「あなた」と「私」が全然別の人間ではないことに気がついてもらえると思う。
そう言う意味では、「先ず塊より始めよ」の格言通り、警察・検察関係者にこそ、「私」から「あなた」になることを体験して欲しいと、タナカケンは思っているのです。
人を捕まえ裁く人は、まずその人自身が人の痛みや苦しみを知らなければならない。
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2009年06月03日