権力犯罪防止法(仮称)の新設を
足利事件で、菅家利和さんが17年ぶりに釈放された。
それに対して、菅家さんを冤罪によっておとしめた関係者は、罪に問われていないばかりか、謝罪さえもしていない。
警察・検察は、菅家さんに対して、暴行を加えながら無理な自白を強要している。これだけでも充分違法な取り調べをしているのであって、今からでも当時の暴力警察官を逮捕すべきである。
あとで真犯人が見つかって、犯人とされた人が無罪だとわかった富山冤罪事件もそうだった。ありもしない選挙違反で、多くの人を長期勾留し、無理な自白をせまった志布志事件の時もそうだった。
これほどまでに明白な違法行為があったにも関わらず、警察関係者は、その罪を問われていない。
権力犯罪防止法(仮称)などを創設し、警察・検察を中心に、その他、行政職に関わる「権力者」に対する犯罪を特別に処罰する法整備を整えるべきであろう。それはその立場にない一般人が実行したくても実行できない権力犯罪であるからして、一般人が起こす犯罪よりも重罪に処するべきである。
その場合、警察・検察に、警察・検察の犯罪を取り調べさせることはできないので、最高裁判所直轄による(裁判員制度のようなイメージで)国民も含めた特別捜査機関を新設し、そこが対応するようにするといい。
この様な権力犯罪に対しては、公開裁判とし、被告人の顔と名前がハッキリと公表され、刑事責任を追求するだけでなく、社会的制裁も同時に加えるべきであろう。
菅家さんのご両親は、自分の息子が殺人犯であると世間に思われながら、またはご自身も自分の息子が殺人犯かも知れないと思いながら、失意の内に死んでいったのである。世間から白い目で見られ、生活していた様は、正に生き地獄そのものではなかっただろうか。その居たたまれない状況は、裁判により、有罪であろうが無罪であろうが、「逮捕」された時点から、本人と家族に降り注がれるのである。
とにかく、今後、違法な捜査をした警察・検察には、しっかり法の裁きを受けてもらう。そのためにも、権力犯罪防止法なるものを新設し、昨今暴走著しい、警察・検察の権力行使に対して、一定の歯止めを、国民の手によってかけなければならない。
軍隊に対しては、シビリアンコントロールつまり文民統制という考えがある。それに対して、警察・検察には、国民による統制が不充分である。
裁判には、不充分ながらも裁判員制度によって、直接、司法の現場に素人の国民が入れるようになった。
選挙は、権力者の任命権を持って、国民によるコントロール下に権力者を置く儀式。
それによって選ばれるのが議員である。
では、警察・検察の権力者に対してはどのようにその権力を、国民のコントロール下に置くべきなのか。今後は、警察・検察に関しても、権力犯罪に対する罰則を強化するだけでなく、何らかの制度変更によって、直接、素人の国民が、監視・参加できるようなシステム作りを作り、警察・検察の暴走を未然に防ぐようにしなければならない。
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2009年06月06日