死刑にしてしまった政治家の責任
東京新聞より(6月14日付け)
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東の足利、西の飯塚-。一九九〇年代前半、初期のDNA型鑑定によって有罪認定された受刑者が、再審を求める二つの事件があった。「足利事件」の菅家利和さん(62)は十七年半ぶりに釈放されたが、二人の女児を殺害したとして死刑判決を受けた「飯塚事件」の久間(くま)三千年(みちとし)元死刑囚は昨年十月、七十歳で死刑を執行された。再審請求前だったが執行の時期に誤りはなかったのか。一方で事件の現場では「もう済んだ話だと思っていたが」との戸惑いが広がっている。 (荒井六貴、佐藤直子)
「今、ここまで執行されているが、自分の番まではまだあるかな」。昨年九月、弁護団の徳田靖之弁護士が福岡拘置所で面会した際、久間元死刑囚は確定死刑囚のリストを示しながら語っていた。
昨年十月中旬、足利事件の再審請求で、東京高裁が最新技術によるDNA型の再鑑定を実施する方針であることが報じられた。弁護団も希望を見いだした。しかし、久間元死刑囚は直後の同月二十八日に死刑が執行された。
足利事件の再鑑定の動きを知りながら、法務省は精度の低い初期の鑑定を基に刑が確定した死刑囚の執行に踏み切った。確定から二年というスピード執行だった。
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DNA型鑑定が、捜査の決め手になったということで、飯塚事件は、足利事件に類似する事件である。
それにも関わらず、一方は無罪で、一方は死刑である。
失われた時間はもう元には戻らない。それ以上に、失われた命は、もうどうやっても戻ってこないし、償うこともできない。
被疑者否認の裁判については、慎重に対応することが求められる。
否認しているのだから、反省も何も無い。反省がないことを理由に、死刑にしてしまえば、今回のようなケースはこれからも起こりうるだろう。
和歌山カレー事件の林眞須美被告の場合などは、これと同様の扱いを既に受けている。
インターネットで調べたところ、死刑執行命令を出したのは麻生太郎内閣の森英介法務大臣だという。
森英介大臣は、「人殺し大臣」と呼ばれたとしても仕方がないだろう。
それに対して、「森氏は職務を忠実に執行したのであって人殺しではない」との反論もあろう。
しかし、政治家は、批判されるのが常である。私はその批判を甘んじて受け入れ、ご自身が何をして、人一人の命が失われたのか、罪深きその責任を重さを噛みしめながら生きていくことが、必要であろうと思う。
その責任の重さに耐えられる人だけが、私は政治家としてふさわしいと考えるからだ。
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2009年06月15日