支持する政策の優先順位は人それぞれ
井上陽水の名曲「傘がない」からの引用。
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都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
冷たい雨が 今日は心に浸みる
君の事以外は 考えられなくなる
それはいい事だろ?
テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべっている
だけども問題は今日の雨 傘がない
(以下省略)
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1972年の名曲。
この名曲を知らない人は少ないだろう。
井上陽水は、この歌詞の中で明確に語っている事は、
個人が幸せを追求する渦中にあっては、
若者の自殺も、国の将来の問題も関係ないということだ。
「君に」会えるのか、会えないのか、それが彼にとっての一番の問題となっている。
そのためには、もっと眼前の問題として、傘がなくて困っている。
私は、このような彼の個人の幸せを追求する姿を容認できるのが、理想的な民主国家だと思う。
政治の世界では、政策に優先順位をつける。
もちろん、個人的な思いによって、優先順位が付くのは仕方ないし、自然な行為だ。
しかし、「純粋に政治に対する真っ直ぐな思い」は簡単に「極右」にも「極左」にも「原理主義」にもなってしまう。
私は過去に、どれだけ高速道路のことが問題だと言い続けて、その度ごとに、他人から「高速道路の問題なんかよりももっと先にやるべき事があるだろう」と言い続けられてきた。
その人がどのように思おうが、それはそれでいい。でも個人の思い入れを否定する事は止めて欲しい。
民主党が政権を取ろうとしている、今でさえ、「高速道路の問題など・・・・・・」と言って、高速道路問題を軽んじて考える輩が非常に多い。
そんなに軽んじて考えてもいい問題ならば、とっとと無料化にして、この件を終わらせて、私にもあなたが考える、より重要な問題を一緒に考えさせて欲しいものである。
でも、現実には、そうはなってこなかった。
こんな私であっても、国防の問題を軽んじていいとは考えてはいない。ただ、私にとっての優先順位から言えば、一番ではないのだ。国防問題が何よりも一番重要だと考えるのは、そう考えている人間の主観に過ぎない。それは教育もしかり、福祉もしかりである。
高速道路の問題を論じる度に、国防問題を持ち出され、国防問題を語る事が高尚であり、高速道路問題を論じる事が低俗のように言われてきた。冗談じゃない。こちとら20年以上活動してきて、その過程で逮捕まで経験してきているのだ。にわか知識で国防論を論じたところで、それを何よりも高尚だと信じて疑わぬその姿勢こそ、全体主義的発想であり、民主主義とは相容れない考え方だ。
国防を論じなければ、日本は中国・北朝鮮にやられてしまうという危機意識を持っている本人の思考回路が、中国・北朝鮮のような全体主義的な発想で既に犯されている事に気がつかないのが滑稽だ。
私は高速道路の問題を何よりも高く価値ある事として考える。しかし、それは同時に、他人が、他の問題を何よりも重要なこととして考える事を否定しない。
子育てに苦しんでいる夫婦が、子育て政策について興味関心持つのは当然だろう。
健康を害している方が、医療費のあり方について一番関心を持つのは当然だろう。
土木などの仕事に従事している方が、これからの公共事業のあり方に興味を持つのは当然だろう。
そう。その人、その人によって、政策的な興味関心は全部違うのだ。それで良いのだ。
政治など興味関心がなく、彼女に逢いに行く事。それが一番の関心事の人がいても、非難されないのが、私が理想とする民主国家である。
私の主張は、私が興味関心を持つ高速道路の問題を、一番とは言わないので、せめて4番目か5番目ぐらいの感覚で考えて欲しいと言う事ぐらいだ。
自分が一番重要だと思っている事を、おまえも一番重要だと考えろなどという輩とは、その強制力、勧誘力が全然違う。
とにかく、自分の考えている事が何よりも増して、高尚であると思い上がっている輩ほど、やっかいな者はいない。高邁な思想を否定はしないが、思想の押し売りは止めて欲しい。それこそ全体主義なのだから。押しつける側は、それがわかっていない。まるで望んでもいないのに行われる一方的な布教活動である。
今、この様にやっと日の目を浴びるようになった高速道路問題が、私にとっては、今でも一番の興味関心である事を、ここに高らかに宣言する。
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2009年07月25日