田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

利尻富士下山における原体験

 喉が渇くという経験をした人はどれだけいるだろうか。
 私はこの度、多分生まれて初めて、「喉が渇く」という体験をした。

 今年の夏は、両親を北海道へ連れて行った。その途中、利尻島にて、父親と一緒に利尻山に登ってきた。4:30に登り初めて、11:00に山頂へ。11:30に下山を始めて、16:00に下山を完了した。

 問題は、持参した水の量だった。2.5リットル持っていったのだが、その日は天気が良すぎて、前半で水をがぶ飲みしてしまった。頂上に着いた頃には、既に0.5リットルぐらいしか水が残っていなかった。それでも下山は登山に比べて、短時間で済むため、それほど水は必要としないだろうと、頂上では、そのように考えていた。
 しかし、現実は甘かった。
 8合目ぐらいで全部の水を飲み干した私は、とうとう喉の渇きに耐えられなくなっていた。
 父親と一緒に下山していたのだが、73歳の父親は、私よりも下山のスピードが速くはるか下を歩いていた。約束の7合目で父親と会ったときに、どうしても我慢できず、水を持ってきて欲しいと懇願した。
 3合目には、甘露泉水という名水が流れていて、それまで行くと水を飲む事ができるのだ。
 父親は二つ返事で、私の2リットルとペットボトルを持つと、さっさと下山して行ってしまった。

 自分自身の体調を鑑みると、軽い熱中症と脱水症状を起こしている事を理解していた。
 いくら元気とはいえ、73歳の父親に一度下山して、また自分のいるところまで2リットルの水を持って登ってきてくれと頼む事自体、恥ずかしい事なのだが、事態はそのような感情を許さないほど、切迫していた。いつ、自分自身が倒れてしまうかもしれないことを自覚していたのだった。
 下山途中の7合目で父親と別れて、私はとりあえず6合目までは目指そうと考えていた。父親は、「疲れているのならば、途中で休んでいれば水は持ってくるから」と行って、前方に消えていったのだが、その父親の負担を少しでも減らそうと思い、最低でも6合目までは歩こうと思っていた。

 6合目に着いた。少し腰を下ろして休んでいた。元気な父親の事だから、その内やってくるだろうでも、ここで私が休んでもいられない。少しでもその負担を軽くしなければ。
 5合目まで歩こうと決めた。喉はカラカラ。唾が出ないのだ。汗で濡れていた黒いTシャツは、乾いてしまってきた。表面には、塩分の後がクッキリと見えていた。
 もう自分のTシャツを濡らすだけの汗も体内にはない証拠だった。

 5合目に着いた。また少し休んだ。ここまで来て父親を待ち続ける選択もあった。しかし、少しでも父親の負担を減らしたい。その思いから、しばらく休んで、4合目途中まで歩く事を決意した。それに5合目は日陰がない場所だ。直射日光を浴びたまま待ち続けるには辛い場所であった。幸い、4合目は高い木々があたりを囲む日陰の場所なので、同じ待つならば、4合目の方が良かったのだ。それに多分、4合目途中で、父親と再会するような気がしていた。その気軽さも、私に歩かせる勇気を与えてくれた。
 歩き続ける過程で、何度、私は、自然の景色を父親と見間違えたのだろうか。人間は、何かを見たいと思った物に、実際見えた物を当てはめて理解してしまうようだ。
 私が目にした草木、木の幹、ちょっと人間のように見えたりすると、それが水を持ってきた父親のように見えたのだ。あっ、あそこに水があると。
 それも近づいてみると、私の目の錯覚である事に気がついた。父親の姿ではなかった。
 体からは汗が出ない状態、喉もからからで唾も出ない状態。それでも額からは汗が出た。ギリギリの選択の中にあって、身体は脳を最後まで守ろうとしていたのだと理解した。
 時々、その額の汗が、目に入ってきた。塩水が目に入ったようで、目が痛くなった。
 その額の汗を、首にかけていた手ぬぐいで何度もぬぐった。

 4合目に到着した。ここは木陰の待ちやすい場所だった。ここで待っていても良かった。父親の下山のペースを考えれば、さすがにもう3合目の甘露泉水には到着していて、もう私の方へ向かって山を登っている頃だろうから、4合目ぐらいで待っていないと「水を持ってくる」と言った父親の面子も立たないだろうと思い、待っていようかと思った。
 しかし、逆の事も考えた。私がこんなにもゆっくりと下山しているのに、父親と未だ再会できないというのは、何か父親の身にトラブルがあったのかもしれない。まさか転落したとか、まさかダウンしてしまったとか、何らかのトラブルに巻き込まれて、登ってこれないとしたら、それこそ心配である。それにもう4合目まで来たのだ、3合目にある水まではあと一息である。

 私は4合目から歩き始めた。途中、何度も、何度も川を流れる水の音を聞いた。幻聴だったのかもしれない。その音を聞きたいと願ったので、様々な音がせせらぎのように聞こえたのかも知れない。あと少し、もう少し、もうちょっと歩けば、水までたどり着ける。そう思いながら、ゆっくりと下山を続けていた。

 相変わらず、熱中症で脱水症状を起こしていたのだが、4合目以降、主に日陰を歩いていたせいか、直射日光に照らされていたときほど、辛さはなかった。もちろん一刻も早く水を飲みたい事には変わりはなかったが、水を思う気持ちよりも、父親の安否を心配する気持ちの方が勝っていた。

 3合目の甘露泉水の場所に到着した。その場に父親もいた。話を聞くと、どうやら父親もこの3合目を目前にして、ダウンしてしまったらしい。その時、その場にいた男性から、水をもらって飲んで、復活してから、この甘露泉水の場までたどり着いたとの事だった。とにかく、父親と会えなかった理由が、転落などの事故ではなかった事に私は安堵した。

 父親が500CCのペットボトルに組んでくれた水を飲んだ。とてもまずかった。
 私はこの体験を多分、一生忘れないだろう。
 カラカラに喉が渇いた状態で飲む最初の水はまずい。
 なぜか。口の中に塩分がたまっていて、最初の水とは、それが自然と塩水になってしまうからだったと、ちょっと時間が経ってから理解した。
 2回目に口にした水も同じくまずかった。塩水だった。
 当たり前のようだが、人間は、常に真水を飲んでいない。水と唾を混ぜた液体を飲んでいる。潤沢に唾が出ているときは、気がつかないほどの塩分濃度なのだろうが、唾が出ないほどカラカラに喉が渇いたときに飲む水は、口の中の塩分をそのまま水の中に溶かし込んでしまう。その水を飲むのだから、旨いはずがない。

 俳優などが、演技によって、喉が渇いたときに飲む水を美味しそうに飲むのは、嘘だと思った。それから、何度も何度も水を飲んで、やっと水が旨いと感じるようになってきた。

 喉が渇いたときに飲む最初の一杯の水は、とてもまずい。この事実を知っただけでも、この登山は、とても収穫があったと言える。

 普段経験した事がない経験をするという事は、これからの自分の人生を考えた上で、確かな財産になるに違いない。
 まずい水は、私にとても重要な事を教えてくれた。

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2009年08月11日