それほど政党に主体性を持たせていいのだろうか。
私が理想とする選挙とは、有権者と候補者の直接的なつながりを重視する選挙です。ですから、選挙では候補者名が書ける選挙を望みます。
ところで、選挙では、有権者と候補者との間に、政党が介在します。この政党の存在が、年を重ねる度に大きくなってきています。
中選挙区時代にあっては、無所属でも多くの人たちが国会議員になっていましたし、無所属当選から自民党に鞍替えする人たちも多くいました。
しかし、今では無所属での当選は奇跡に近い状態です。ましてや、自民・民主以外の政党であっても、小選挙区制での当選はとても難しいことになっています。
前回の郵政選挙において、当時の小泉首相が、同じ政党に所属していた議員に対して、刺客として、対立候補をぶつけてきた一連の騒動を思い出してください。
政党に所属すると言う事は、政党の奴隷になるに等しく、政党の命令に従わない場合は、選挙で公認されないばかりか、対立候補まで立てられて、議員生命を奪われる可能性が高くなるのです。
小選挙区制は、所属議員を奴隷扱いできるという意味では、政党にとってはとても都合が良い選挙制度となりました。
現在、民主党がマニフェストの中で「衆院定数を80削減します」と書いています。これは全て比例枠のことです。議員定数の削減については歓迎する方も多いと思いますが、比例枠を削るという事は、少数意見を、少数政党の議席をより多く削るという事です。
「小選挙区制で落選した候補者が復活当選するのはおかしい」
この様な世論に押されて、比例定数の枠を一方的に削減するとしたら、私は大問題だと思っています。これ即ち大政党のおごり以外の何者でもありません。その目的は、小政党を国会から排除して、少数意見を議会で発言させなくする行為になるのです。
まるで政権交代の名の下に、
「自公政権に反対する政治勢力は、全て民主党に結集せよ」
この様な傲慢な思想が垣間見える事を指摘しなければなりません。
政党に主体性を持たせ、小選挙区制における公認権など絶対的な権力を持たせると、議員個人の良心などは正常に機能しません。
それはまるでこれまでの職業裁判官が、良心にのみ従って判決を出すのではなく、保身のために、大企業有利、国有利の判決ばかり出して、弱い者、力の無い者の権利を踏みにじってきた歴史をこれから見させられるようなものです。
国や大企業など、保守的な大きな勢力に反対した判決を出した裁判官のその後を少しでも追ってみれば、彼らの出世と彼らの判決が無関係でない事は明らかです。
裁判制度は、これまでの判決を反省して、少しでも国民の常識が働くようにと裁判員制度によって、一般国民が直接裁判に関わるように改正させました。それとは逆に、これからの国会は、職業議員とでも言うべき、「常に政党に顔が向いて、国民には顔が向かない議員」ばかりになり、国会内の意識と国民の意識が乖離していく事が心配です。
私は何度もお伝えしていますが、二大政党制という幻を求めるような小選挙区制には反対しています。もっと穏健的な二大勢力制(連立政権を前提として、対立する2つの政治勢力を競わせる政治制度)を作るべく、まずは一票の格差を厳格に無くした中選挙区制に戻すべきだと思っています。
その方が、政党の主体性は薄まり、もっともっと候補者と有権者は直接的な関係を築く事ができるでしょう。それにまた大政党だけでなく、小政党や無所属議員も比較的簡単に誕生する事ができると思うわけです。
時にとんでもないような主張もありますが、小政党の言うことにこそ、10年先、20年後の未来を知る示唆に富んだ主張もあるのです。玉石混合の議論を最初の段階から封殺しない議会構成が望まれます。
現代の主体性を持ちすぎる政党政治の危険性について、読者の皆様も、今一度お考えください。
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2009年08月23日