田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

政党と政党に所属していても良い自由な個人と。

 期日前投票を早々に済ませ、私は選挙期間中、国外にいました。同じ政治家でも無所属であると、政党の奴隷に成らなくて済むので、国政選挙の期間中は全くのフリーです。
 幸か不幸か、地元にも応援したい候補者がおらずに、現職議員でありながら、まるで政治家失格のような立ち振る舞いです。
 相場師が、「休むも相場」というようなものでしょうか。

 政党に所属すると言うことは、その政党の主義主張に自分を重ね、その党勢を拡大することで、自分の理想を実現するために、その政党に所属している訳なのでしょう。しかし、それでも、なぜか地元からは自分が応援したい人が立候補しない。選挙の主役は政党では無く、候補者という人であるという意識が強い私にとっては、どれほど魅力的な政党であっても、個人の魅力に欠ける候補者を応援することはない。
 逆に政党にそれほど魅力を感じなくても、個人に魅力を感じれば、その候補者を応援することだってある。しかし、それも政党に所属していると、自由気ままに立ち振る舞えない。同じ政党からの候補者が同一選挙区にはいないという条件でなければ、本来応援したい人であっても応援しにくい。政党という枠があるが故に、政党人失格となってしまう。

 せめてもの願いは、政党にいても、その候補者を応援しなくて良い、つまり応援をサボることができる。このことは私にとっては非常に重要なことだ。意中でもない人の応援を強制する政党に嫌悪しつつも、政党に所属することが政治的な力も増す事に対する期待感。この狭間の中で、政党に主体性を持たせず、政党に所属する個人の主体性を尊重するそんな政党が、本来は私にとって望ましい。
 「政党の奴隷にならなくていい権利」というものが政党人になければ、そもそも私は政党人には向かないかもしれない。
 小選挙区制は、政党人をより奴隷化させてしまったようだ。

 その点、これまでの自民党の議員さんたちを見ていると、実に大人だと思う。応援しないわけではない。でも、実質的な応援はしていない。またそれが暗に許されているような政党も自民党だ。それは非常に魅力的であり、私の嫌いな政権政党でなければ、その党運営などは、既存の政党の中では、非常に民主的、かつ緩やかな組織として、異端者であっても、中にあって居場所を見つけることができる組織であったであろうと外野からは見えるわけです。

 しかし、その理想的な党運営をしていた自民党でさえ、今正に政権政党では無くなり、今後、落ちぶれていくことでしょうから、この様な党運営が続くと思えません。

 組織を大きくしようと思えば、緩やかな集合体にしないとより多くの人たちがついて行けない。
 組織を強くしようと思えば、その規律を厳格に適用し、政党人を優秀な兵士と見立て、自由勝手で気ままな行動を許さず、選挙の応援という強制労働をさせようとしていく。
 党勢拡大時においては、自己利益もあるため、強制労働にも喜んで参加しようが、党勢衰退時においては、強制労働を強いたのでは、離党者も増えてこよう。
 一人一人の思いを大切に、下から支え合っていく。そして気に入らなければ、働かなくても追い出されない組織。私は政党にそんな理想を求めている。
 よって、私は政党に所属できない。
 無所属議員の中には、私のように自由が大好きだという人たちが、どれほど多いことだろうか。

 個人と政党の関係について、他の人たちは、どれほど考えているのだろうか。その良好な関係性について、どんな暗中模索をしていることだろうか。
 政党政治を否定はしないが、行き過ぎた政党政治に警戒感を持つ私などは、未だに政党と個人の良好な関係について、その理想について、語れぬ自分自身にもどかしさを感じている。

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2009年09月04日