田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

議員だって、旅をしよう。その1

 多分、現職議員の中で、私ほど旅好きな議員も少ないだろう。
 議員の海外視察が「贅沢だ」と言うことで中止になってから、2期が経過した。とても残念だ。
 私は、一年生の時と二年生の時の2回、海外視察を経験したが、経験者として、良い部分と悪い部分を知っている。
 良い部分とは、普通の旅行では体験できないようなことを体験できることだ。行政関係者から直接話を聞くなどと言うことは、議員視察でも無ければ、あり得ない話である。

 例えば、一年生の時は、ロサンゼルスの防災センターを見学した。FEMA(フィーマ)「アメリカ連邦緊急事態管理庁 」)という組織を訪ね、阪神・淡路大震災のような大規模災害に対応する組織のあり方を聞いてきた。そう当時は、阪神・淡路大震災直後であり、そのことが当時の大きな政治的テーマになっていた。
 二年生の時は、ドイツを訪ねた。ベルリンの町並みは、片側5車線もあり、一番端の1車線分は、当たり前のように駐車スペースとなっていた。中央分離帯の部分も駐車スペースになっていた道路もあった。自転車専用道路も完備されていた。一区画まるまる空き地になっているような土地もあった。日本では「有効利用しないのか」と言われそうな空き地ではあるが、それが自然な公園のように、都市にゆとりある空間を提供してくれていた。
 その時の町並みは、写真に残って無くても、私の脳裏に強く記憶され、それが現在の「都市の過密を防止せよ」「東京は人が多すぎる」という私の主張にもつながっている。
 首都圏と言われる一都三県(東京・神奈川・埼玉・千葉)という狭いスペースだけで、3500万人もの人口がひしめき合っている地域を、私は世界の他に知らない。日本の人口の約1/4強が、ここだけに集中しているのだ。過密という概念も、東京に生まれてからずっと住み続けているだけでは見えてこない。これが異常だと思うのは、そうではない海外へ行った経験があるからこそ言えるのである。

 悪い部分とは、あまりにも贅沢すぎることだ。高級ホテルに宿泊し、昼夜コース料理を食べていれば、有権者から批判されるようなお金の使い方になってしまうだろう。実際、2週間の旅行で、一人120~140万円の費用を使っていたこともあった。旅慣れている今の私の感覚から言えば、ホテルと料理の質を落とすだけでも、一人50万円以下の海外視察ができたと思う。贅沢すぎることは批判されるべき事だが、それを理由に海外視察そのものを中止してしまったことはとても残念なことだったというのが、私の議員海外視察に関する感想である。

「贅沢をするな」とは言っても、私のように、ドミトリー(相部屋)に泊まったり、時には野宿したりすることを現職議員さんたちに海外で求めることは、酷だとは思うが・・・・・・。

 さて、総選挙の間、無所属であることを理由に、私は選挙の手伝いをしなかった。期日前投票をさっさと済ませ、議会も開かれないこの期間を利用して、海外へと行ってきた。
 私が向かった先は、タイの北部にあるチェンマイ。そこからスタートするトレッキングツアーに参加するためであった。山の中を歩く2泊3日の旅は、日頃運動不足の私にとっても、丁度良かった。集まったメンバーは、今回の旅行にあたって、以下の場所から来たと発言していた。日本・USA・香港・ハンガリー・ドイツの計5名である。私以外は全て女性であった。香港出身とは言っても、見た目は白人であり、どうやらイギリス出身らしい。ハンガリー人も今はロンドンに住んでいると言っていた。where do you come from? この様に尋ねた場合、「今はどこに住んでいて、どこから来たのか」と言う意味と、「生まれはどこなのか」という意味があるらしいが、どちらを答えるかは、その人次第。ドイツ人は、出身はドイツなのだが、6年間も南アフリカに住んで仕事をしていたとのこと。今はその仕事を終えて、世界を旅して回っているという。
 年は私を除いて、30前後と言ったところか。女性に年を聞くのは、国際ルールとして、マナー違反かと思い、私からは聞きにくかったが、見た目年齢は、そんなところである。皆、仕事をしていて、マーケッティングだとか、銀行業だとか、話しているようだった。
 初対面の人との自己紹介は、どこも同じようなものである。名前を聞いて、どこから来たのかを聞いて、どんな職業かを聞かれる。what do you do? この様に聞かれて、「旅行をしています」と答えるのは間違えで、職業を聞いているのだとわかったのは、私が旅する大人になってからだった。public servant 公務員と私はいつも答えている。a member of assembly 議員と答えるのは、その次の段階である。
 彼女たちは、若いということもあるが、皆、健脚だった。歩くスピードは、私が一番遅かった。上り坂などは、あまりにもきつかったので、ガイドに私の荷物を持ってもらい、なおかつ私の手を持って引っ張ってくれたときは、少しドキドキした。外国では、同性同士で手をつなぐことに対して、違和感を持たない人たちが多いようだ。
 ここに来る直前、利尻富士を登って、少しは鍛えてきたはずだったが、それでもばてた。山奥の村に到着してからは、早々に夕食を食べて、私は19時頃に寝始めてしまった。5人の同じチームは、一つ屋根の同じ小屋の中で一緒に寝るわけだが、小屋の外からは、彼女たちの話し声を聞こえていた。私は彼女たちと夕食後に話す貴重な時間を睡眠時間に充ててしまった。

 翌日は、5人の内、3人は1泊2日のコースということで、別ルートで帰ることになった。二人いたガイドの内、一人と3人の女性たちが、先に宿を出て歩き出した。私とドイツ人の彼女とガイドは、少し遅れて歩き始めた。我々は2泊3日のチームである。ドイツ人の彼女はとても健脚だった。メンバーの中でも、ガイドのすぐ後を常に歩いていて、仲間内でも一番の健脚であるだろうと、見ているだけでわかった。その彼女と同じチームである。私は遅れないように気をつけながら歩いていた。
 宿泊した村を出てから30分以上歩いただろうか、次の休憩地点となる村に着いたとき、彼女がカメラケースを忘れてきたと言い出した。それは彼女にとってとても貴重なものだったらしく、戻って取ってくると言う。たかが30分と思うだろうが、それは山道でのこと。登りもあれば下りもある。ここから戻って取ってくると成れば、これまで歩いた道のりを更に往復歩かなければならない。
 前日、あれだけバテバテで、19時に寝てしまった人間である。私にはとても、一緒に行って戻ってくるだけの体力は無かった。彼女はガイドと一緒に二人で歩いて戻っていった。その間、私は、その村で、のんびりと彼らが戻ってくることを待つことにした。彼女も忘れ物を取りに行って戻ってくるだけなので、荷物はそこへ置いていった。さしずめ私は荷物番となったのである。
 タイ北部でのトレッキングツアーによって、山奥の小さな村にも、少しではあるが現金収入がもたらされていた。歩いてくる旅行者が泊まったり、飲み食いしたりして、お金を落としていくからである。1リットルの冷たい水が10バーツ=30円。小さなスナック菓子が10バーツ=30円。私は飲まないが、ビール50バーツ=150円。この様な物価水準である。
 村の旅行者相手に開かれる売店では、言葉は通じなくても、指さしだけで充分に買い物はできる。村の若者がたまたま英語が話せたので、少し会話をしてみた。やはり、まずはどこから来たのかと聞かれた。日本と答えた。(このように、海外へ行くと、望むと望まざるとに関わらず、常に日本を意識して生活するようになる)
 でも、私の顔は、タイ人に似ているだろう。ほら、肌の色も黒いし。どうだい。
 いつも、そう言って、自分が彼らと近しい人間であることを、私はアッピールする。そして必ず現地の言葉を一つ、二つ話す。サワディーカーップ=こんにちは。コップンカーップ=ありがとう。これだけでも、随分と相手に対する印象は違ってくるというものだ。
 当たり前のようだが、自分の方から相手に歩み寄ってこそ、相手とは仲良くなれるというものである。相手が興味関心を示すこと、それを話すといい。自分が話したい話題を一方的に話していたのでは、相手が自分を知ってはくれるかも知れないが、好きになってくれるとは限らない。
 色黒で背が高く、目がぎょろっとした彼は、タバコを吸いながら、話を続けた。若いのに、もう結婚して子どもがいるという。I am a bad boy 不良だろ。こんないい方だっただろうか。早くして結婚して、子どもを作ってしまった自分を自嘲気味に、彼はこういった。no no no, you are a good man 私はこう返答した。この感覚が彼には通じただろうか。
 昨日まで集まってきた彼女たちの会話の中には、当たり前のように、have you been to ~ のように、どこどこへ行ったことがあるかという質問が出る。例えば、日本に行ったことがあるかとか、ドイツに行ったことがあるかとか、イギリスに行ったことがあるかとか。
 その延長線上で、当たり前のように現地ガイドにも、どこどこへ行ったことがあるかと、旅行者は悪気もなく質問してしまうことがある。でも、ほとんどのガイドは、言葉は多少話せても、海外へ行った経験がある人は少ない。経済格差ゆえに、海外へ行ける人たちと、海外へ行けない人たちとの差をこんなところで感じる。
 いわゆる先進国の住人同士では、当たり前の会話であっても、そうではない国々の人との会話では、あり得ない会話となってしまうことがある。心の微妙な機微を想像すれば、それは愚問にも等しい。
 そこで私は、彼に、「日本に行ったことはあるのか」ではなく、「日本人は、この村によくやってくるのか」と聞いてみた。「来ない」と言っていた。毎日、あれだけ多くの日本人が海外へ行っているというのに、この様な山奥の村には来ないのだという。事実、今回のチームは私の同行者たちも全て白人系の女性たちばかりだった。
 そう。旅行者のほとんどは女性である。海外は女性であふれている。それは言い過ぎか。海外は若者の旅行者であふれている。これは間違っていない。日本人の若者は、もっともっと海外を旅して欲しい。それもできるだけ貧乏な旅行を。
 そうは言っても、USAの若者を海外で目にすることは滅多に無い。今回はたまたまニューヨーク出身の女性が一人いたが、USAの若い男性を旅行者として海外で見かけることはまず無い。それはなぜか。USAの若い男性は、大学を卒業すると働き始めるかららしい。それに比べて、イギリスの若者は、大学を卒業すると旅に出るらしい。外見的には同じようなアングロサクソン人であったとしても、文化が違うのである。文化が違えば、発想も違ってくる。
 とにかく、日本人の海外旅行の特徴としては、有名どころの観光地に、一極集中型に表れては消えていくということだ。表れては消えていくのだが、その流れに途切れがないため、その観光地には常に日本人がいるようになる。
 去年、インドを訪れたときも、ほとんどの地域では日本人にすら会わなかったが、タージマハールだけは別格で、ウジャウジャと日本人がいた。それも本人と話してみると、4泊5日ぐらいの強行軍で来て、タージマハールを目的に見て、帰るという。そんな人が多いのだろう。
 日本人のミーハーぶりと、悲しいかな、それだけしか休暇を取れない現実から、そのような旅行日程となってしまうのだろう。
 そうなると、この様な何があるわけでもないタイの山奥まで来る日本人というのは、ごく少数になってしまうというわけだ。
 水を飲んだり、日陰で横になったりして、時間を潰していると、彼女たちが戻ってきた。彼女は至って元気であるが、昨日、私の荷物を持って、手を取ってくれた「優しいガイド」は、既にバテバテだった。健脚すぎる客というのも、彼にとっては不幸なことだったのかも知れない。
 少し休んでから、また私たちは歩き始めた。タイの山奥を歩くというと、道無き道を歩くようなイメージをするかもしれないが、実際は、途中途中にある小さな村を経由しながらのハイキングである。ちょっと休憩したときに水を買ったりできる売人が、そこにいたりする。大きな川があって、滝があって、水着に着替えて、水遊びもできる。精神修行ではないが、私も何度か滝に打たれてきた。日本の滝をイメージすると冷たい水なのだが、ここはタイである。それほど冷たくはない水を勢いよく頭から浴びるのである。そこで汗を流してしまえば、今夜シャワーを浴びなくてもいいかなと思う。
 近くに滝がある売店で、昼食のインスタントラーメンを食べた。山奥とは言え、ちゃんとしたトレッキングコースである。電気こそ通ってない村も多いが、文明の影響は、多少なりとも、そんな村にもあったのだ。

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2009年09月09日