議員だって、旅をしよう。その2
その日は午後から、どんよりと曇り始めてきた。昨日、バテバテになっていたのに、その日は不思議に疲れていない。平坦な道が多いからか。それともそれほど暑く無かったからか。15:00前後になって、雨が降り始めてきた。私はカッパなどの雨具を持っていなかった。彼らはしっかりと持っていた。雨が酷くなって、彼らはカッパを着て歩き始めたが、私はそのままの状態で歩いていた。ガイドが雨に濡れないようにと、私の荷物を背負ってくれた。カッパはその上から着た。前に自分のザックを。後に私のザックを背負って、ガイドは歩いた。
なおかつ、そこらへんにある大きな葉を使って、雨よけのとんがり帽子を作ってくれた。それをかぶると、少しは頭に当たる雨が少なくなるので、かぶると良いと、私にもくれた。低い木の下を通ると、帽子の存在を忘れてついついぶつけてしまい、下に落とすこともあったが、それでも雨の中、帽子をかぶるとかぶらないとでは、頭に当たる雨量が全然違っていた。全身はびっしょりである。でも頭さえ濡れていなければ、風邪を引く可能性も低い。
疲れてはいなかった。水もそれほど必要はなかった。私たちはいつの間にか、山の中の車道を歩いていて、目的の村までもうすぐであることを感じていた。ボート乗り場の基地とも言える村に到着したのは、そのすぐあとだった。雨のため、増水している川は、大きな音をあげている。
そこで私たちは宿を取ることにした。荷物を置いてゆっくりして夕食まで過ごした。夕食後、我々三人は、色々なことを話した。話題の中には、当然のように日本の政治のこともあった。そうたった今、昨日今日の話として、日本は政権交代したのだと、彼女たちに告げた。
日本の事情を知らない外国人は、先ずこう聞く。 Is it a good or a bad ? 良いことだよ。そう答えると、良かったね。と言ってくれる。日本では長らく政権交代が無かったのだと話すと、政権交代はあった方が良いと言う。同じ政党が長く政権につくことは、良くないことだという認識が、ヨーロッパ人にとっては当たり前のようになっていることに、あらためて気がついた。そう我々日本の政治は、彼らの政治手法から学んで、現在の政治体制を作り上げているのだから。
私は英語が話せない。いや英語が苦手である。これが今までの私自身だった。事実、英語が苦手な私は英語という受験科目のおかげで、大学受験に失敗し続け、3浪を経験している。最後に受かった大学も、千葉大学教育学部小学校教員養成課程、つまり2次試験に英語がない大学を受験して合格していた。
今でも英語は苦手だ。筆記試験をやったのならば、きっと良い点数は取れないだろう。正しい文法の英語も話せないだろう。今、大学受験をしたところで、英語の点数はさっぱり上がっていないだろうし、実はもっと下がってしまうかも知れない。
しかし、私は英語を話す人たちと、不完全ながらも、確かに話ができる。悪意に満ちた答案用紙ではなく、善意に満ちた人間相手の会話であれば、私様な「間違った英語」を話す人間でさえも、会話はできるのだ。この事実が、どれだけ私に自信を与えてくれたことだろう。
日本における英語教育は、より正確な知識を身につけて欲しいと思うばかりに、間違え探しばかりをしてきた。少し話したり、書いたりすると、「そこは間違っている」と間違いの指摘ばかりをしてきた。それでは、生徒は萎縮してしまう。
そうではない。間違っていようが、何であろうが、とにかくより多くの英語らしい言葉を使って、話してみて、会話を楽しむことだ。楽しいと思えば、自然と会話も弾むし、会話が弾めば、新しい知識が自分への喜びとなって来る。
会話をする相手は、答案用紙ではない。人間だ。多少言葉が間違っていても、善意に意訳して理解してくれる。だから会話が成り立つ。だから楽しい。こんな私でも、タイ人と、ドイツ人と、スペイン人と英語を通じて、会話ができるのだ。
たとえ簡単な事しか話せなくても、異文化で過ごした人たちとの会話は勉強になる。会話という楽しい行為が勉強になる。この体験を、より多くの子どもたちが、小さな時からしているならば、筆記試験ではなく、普通に、英語のような外国語の勉強が楽しくなるのだろうと想像する。
この日は、夜遅くまで彼らと話をして寝た。
次の日は、その場所から、ボートで川下りをして、下流まで流され、そこで自動車に拾ってもらい、チェンマイの宿まで戻った。
私の海外旅行とは、このようなものだ。視察と言って、海外へ行くが、特にあらためて何か行政視察などをするわけではない。普通の旅行者が体験するようなことばかりである。しかし、豪華なホテルには泊まらない。夜コース料理を食べることもない。ましてや普段から酒を飲まない人間が、海外で酒を飲むこともない。
それでも、何気ない風景を見て、現地の人間と話をして、また旅行者とも話をして、社会を語り、政治を語りなどして、勉強にならないことはない。
もうお亡くなりになってしまったが、私が尊敬する先輩議員は「観光も視察だ」と言っていた。私の場合、有権者を目の前にして、さすがにそこまで言い切れない。しかし、「議員の海外視察はダメだ」と言って、日本の外に目を向けない、常に日本しか見ていない人間が、議員になったとして、そのような人間が、明日の日本を作る新しい提案ができるとは、到底思えない。たとえ観光であっても、海外へ行ってくる経験は、何らかの価値観を、その体験者に植え付けてくることだろう。私はそう信じている。
今、自分が住んでいる、この環境とは違った環境に自分の身を置くことで感じる違和感。これが議員としての柔軟な発想を養うのに役立つ。
私はこれからも、何度も海外へ行って、多くのものを見て、聞いて、話して、日本とは違うその体験を通じて、地域社会の向上に役立つ提案をし続けていきたい。
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2009年09月10日