自民党の総裁選挙がおもしろい
かつて私は、自民党がまだ政権政党だった頃、
「あなたはどの政党を支持しますか」
との問いに対して、皮肉たっぷりに
「野党になったときの自民党です」
そう答えたことがあった。
もちろんそれは、政権交代を望んでいたことと同時に、対抗する野党第一党が、ひ弱では、その国の民主主義は守られないとの思いからそう発言したわけだ。
しかし、政権から転落し、野党になった自民党を見ていると、野党になった自民党に期待できることは無いような気がしてきた。そのくらい、現在の自民党には野党担当能力が無い。
そんな中で、自民党の総裁選挙は行われている。私は自民党員ではないし、自民党支持者でもない。しかし、立候補した3人のメンバーの中では、がぜん河野太郎支持だ。今となっては、色々な弊害も目立っては来たが、「官から民へ。中央から地方へ」と掲げた小泉改革のスローガンは間違っていなかった。この基本的な認識が、河野太郎氏と私はぴったり一致している。
小泉首相の時もそうだったが、自民党は自民党的体質から一番遠い人がトップになった方が、国民的人気を得ることができると思う。よって、河野太郎支持である。
私が記憶している彼のエピソードを語る。
かつて、河野太郎氏が、TVタックルに出演していたときの発言である。当時は、鈴木宗男氏が、天下の大悪党のようにマスコミ界を騒がせていたときの話である。
「私も鈴木宗男さんは、好きなタイプではない。しかし、選挙によって有権者から選ばれた議員を、議会の中で『辞職勧告決議案』により辞めさせようとするやり方については賛成できない」
河野太郎氏は、キッパリとそう言い切ったのである。
大多数がそれに賛成しているときに、辞職勧告決議案』に賛成しなかったことは、まるで極悪人をかばうかのように見られかねない。そのようなリスクを負ってでも自己主張できるのは、『信念のある政治家』でなければ決してできないことである。
普通に考えれば、ここで決議案に賛成することは本人にとって、プラスにはならなくても、マイナスにもならない。しかし、この決議案に賛成しないことは、本人にとってプラスにならないばかりか、マイナスになる可能性を秘めている。
政治家の信念とは、大勢を離れ少数になってもなお折れぬ思いが表面化したとき、大衆に対してハッキリと示させるものである。
民主党に対抗する健全な野党第一党の出現を私は願っている。しかしそれは必ずしも自民党でなければならないと言うわけではない。
自民党がこれからどうなってしまうのか、それは私が知ったことではない。しかし、その末期的な自民党にあってもなお、河野太郎氏は、これからも俄然注目の政治家である。
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2009年09月19日