お通夜に行って帰ってきました
職業柄、冠婚葬祭に顔を出すことは珍しいことではありません。
お通夜に顔を出すことも、わざわざこの日記に書かないくらい、よくあることです。
しかし、昨晩のお通夜は、私にとってちょっと違ったお通夜でした。
別にお通夜がかわっていると言うことではありません。
無くなった方に義理を感じていたということです。
その方は、64歳でお亡くなりになりました。クモ膜下出血でした。前日までは何もそんな兆候は無かったそうです。
生前、その方と特別親しくおつきあいしてきたわけではありませんでした。10年ほど前から知っていましたが、たまにお会いする程度でした。
しかし、そんなおつきあいでしたが、お会いしたときにはとても親しく接してくださいました。特に、私が逮捕されたとき、私の両親がその方とお会いしたときに、相当勇気づけられたとのことでした。
「大丈夫だから、心配しなくていいと」
特別親しかったわけでもないのに、そうやってお声をかけてくれたことが、両親からすれば、とても嬉しかったそうです。私も後からそれを聞かされて、同じように「ありがたい」と思いました。
人は誰でもそうですが、調子が良いときは多くの人たちが近づいてきます。しかし、いったん調子が悪くなると、多くの人たちが去っていきます。
私が逮捕されていたときは、人が去るよりも、両親の方から人を避けるような生活をしていたそうです。買い物に行くにも、わざわざ区外のスーパーに行くように。人目を忍ぶ生活を、私は何も知らずに家族に強いていたわけです。
それでも日常生活をしている以上は、最低限であっても、平素のおつきあいは避けて通れません。そんなときに、その方は、私の両親を勇気づけてくれたそうなのです。
私が留置場から保釈され、すぐに選挙に出て、当選して、しばらくしてお会いしましたが、何も変わらず今まで通りに接していただきました。
「よかったね」と。
特別喜ぶでもなく、また特別義理で言っているわけでもなく、常に平らな心持ちの方だったように記憶しています。
そのようにお人柄が忍ばれる方ではありましたが、なぜかそのような方に限って、天命は早く訪れてしまうようです。
「あー、今度はあそこに顔を出しても、あの方はいらっしゃらないのか」
そう思いながら、私は過ごしていくことなのでしょう。
生前は照れくさくて言えませんでしたが、この場を借りて、追悼の言葉をお送りします。
「その節は、大変お世話になりました」
私はまだ生き死にを意識する年齢ではありませんが、これから1日でも長く生きていれば、それだけ多く、この様な体験をするのだとしみじみ思いました。
こんな当たり前のことであっても、当事者になってみると、また違った感覚を持つものです。
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2009年09月28日