田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

はたして誰に顔が向いた政治なのでしょうか

 同じ政党に所属する国会議員と地方議員は、上司部下の関係ではありません。それぞれが有権者から選ばれた存在であり、どのような立ち位置にあっても、それは上下関係でなく、平等な同志と言うべき関係でありましょう。
 ただし、国会議員を上、地方議員を下と見る風潮が、様々な場所で通用していることは、事実であります。

 その一方で、政治家と言えども、議員になれば公務員になるわけで、公務員については、以下のような規定があります。

 日本国憲法 第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
(以下、省略)

 公務員は公僕と呼ばれる存在です。日本国憲法には公務員を奉仕者と定義づけています。それならば、国民と政治家の関係は、客と従業員の関係に置き換えて考えても、それほど不自然ではないでしょう。

 上司のような存在 & 部下のような存在 & 客

 この様な三者が存在していたときの言葉遣いは、どのようなものが適切なのでしょうか。

 11月8日(日)投票の葛飾区長選挙と葛飾区議会議員選挙がありました。
 直接自分とは関係が無い選挙を、第三者的に眺めてみると、おかしな言葉遣いが政界では当たり前のように使われています。
 私がおかしいと思う言葉遣いは、以下のような例です。

 候補者の応援に、国会議員を中心とした有名人が来る場合のこと。

例1:○○○衆議院議員が、お越しくださいました。
例2:△△△参議院議員が、駆けつけてくださいました。
例3:□□□都議会議員が、いらっしゃいました。

 無所属候補に対しての応援ならば、応援者を尊敬しての言葉遣いもありましょう。
 しかし、政党の公認候補の場合、同じ政党内の、いわば身内の議員に対して、尊敬語を使うのはどうなのでしょうか。

 店員が接客中に、たまたまそこへ社長がやってきた。そこで店員が、以下のように話をした。
例4:○○社長がいらっしゃいました。

 同じ従業員相手に話すならばいざ知らず、客相手に社長を尊敬語で紹介する部下がいるのでしょうか。たとえば、例1の「お越しになる」とは、「来る」の尊敬語として使っています。ただし、通常、「来る」の尊敬語は、「いらっしゃる」または「お見えになる」です。ですから、例1を書き換えると、

例1-2:○○○衆議院議員が、いらっしゃいました。
例1-3:○○○衆議院議員が、お見えになりました。

 それなのに、なぜ「お越しになる」という言葉を使うのでしょうか。「お越しになる」という言葉を単純化すると「越し」になります。これを終止形にすると「越す」になります。「越す」とは、その言葉自身が、「行く」とか「来る」の尊敬表現になります。
 また、例1では、「お越しくださいました」という表現になっています。「お越しくださいました」とは、「お越しください」という要請に対する結果報告の文章です。「来てください」とお願いして、実際に来た場合は、「お越しくださいました」になるし、来なかった場合は、「お越しいただけませんでした」になります。

 選挙における候補者および候補者側の人間が、徹底して、自己を下げ、相手を立てる姿勢は、美しいのですが、立てる相手が、有権者から見れば身内とも言うべき、国会議員ならば、そこに私は違和感を感じるわけです。

 立てるべき相手は、(わざわざ)お越しいただいた国会議員ではありません。
 あくまでも立てるべき相手は、地元の有権者だけです。有権者を前にすれば、国会議員もまたへりくだるべき対象でありましょう。
 それならば、「来る」の謙譲語は、「まいる」ですから、正しい表現は、以下のようになるはずです。

例1-4:○○○衆議院議員が、参りました。

ちなみに、「参る」を丁寧に言おうとして、以下のような表現をする人がいます。
例1-5:○○○衆議院議員が、参られました。

 これは、謙譲語と尊敬語の混合です。「参る」が謙譲語なのに、尊敬の助動詞「れる」を語尾につけた言葉が「参られる」という言葉なのですが、誤用だと思われます。
同様に、「申す」は謙譲語として正しいのですが、「申される」というのは、誤用です。「おっしゃる」が正しい言い方です。

 さて、私たち政治家は、常に丁寧な言葉遣いを心がけているつもりでありながら、知らず知らずのうちに、丁寧な言葉の裏にある、心の中にある自分にとっての真の主人公「国会議員などの有力政治家」を持ち上げてしまい、相対的に本当の意味での主人公である国民・有権者をないがしろにしています。
 それは前述したように、客の前で、「社長は素晴らしい」と言っている社員のようなもので、冷静な国民から見れば、とても滑稽な対応です。
 しかし、滑稽でありながら、政治家の顔が誰に向いているかという本心が垣間見られるという意味で、実は、政治の怖い一面を見ることができるのです。

 「国民が主役」と言っておきながら、実際の政治は国民に顔が向いていないという事実を知ったとき、私は果たしてこれで良いのだろうかと思います。

 衆院選挙は、小選挙区制となって、一段と党公認が取れるか、取れないかが、候補者にとっては重要な関心事となっています。その意味で、常に党幹部のご機嫌をうかがっていなければ、党公認が危ういのです。
 だからこそ、候補者は党幹部に対して、熱い視線を送り続け、真の主人公である国民・有権者に対しては、二の次、三の次になってしまうのです。

「魂は細部に至る」
 こんな言葉があります。
 何気ない、選挙における、ちょっとした言葉遣い一つをとってみても、どの人が、本当は誰に対して、敬意を払っているのか、よくわかります。

 私は無所属議員ではありますが、少なくとも、例4に代表されるような、おかしな言葉遣いをしない、真に国民を主役に考える政治家でありたいと思っています。

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2009年11月09日