ヌードと政治
公然わいせつの疑い、篠山紀信さんの事務所など家宅捜索
写真家の篠山紀信氏の写真集「20XXTOKYO」(朝日出版社刊)のロケで、東京都港区の青山霊園などで女性のヌード撮影をしたのは公然わいせつの疑いがあるとして、警視庁は10日、同区赤坂9丁目の篠山氏の個人事務所や自宅、モデルの女優の所属事務所を家宅捜索した。
同庁によると、家宅捜索の容疑は、昨年8月中旬ごろ、誰でも見られる状態で公道や公共空間で同写真集のヌード撮影を行ったというもの。同写真集は今年1月に発行され、青山霊園や東京・お台場などの屋外で撮影した女優の全裸の写真などが掲載されている。
篠山紀信事務所は「コメントできない」としている。
(朝日新聞 2009年11月10日)
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ヌードと政治。分野の違いはあれど、今の社会を変えたいと思っている改革者と、今の社会をそのままに保ちたいという体制側の人たちの間で、何度となく戦いの歴史があったことを、今ここで確認したい。
今、私たちが「芸術」だとありがたがっている絵画の多くは、実は作品の発表当時、とてもいかがわしく、法的にも文化的にも批判の対象だった。
このことは、社会がどのように変わってきたのかを知る上で、非常に重要な人類史だと私は考えている。
専門家でもない私のつたない知識で解説すると以下のようになる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照)
中世以前の西洋キリスト教文化において、性的な事象はタブーであった。ルネサンス期になると、神の姿を描くという大義名分により裸体の女神が描かれた。
大義名分がどうであれ、見る側に性的興奮を催すことを期待させた絵画であった。その役割が期待された絵画でもあった。
1797年から1800年にかけてゴヤ「裸のマハ」(プラド美術館所蔵)が描かれた。この作品は、西洋美術で初めて実在の女性の陰毛を描いた作品だとされている。これが問題となり、ゴヤは何度か裁判所に呼ばれている。
結局、この作品はプラド美術館の地下に100年間もの間保存され、公開されたのは、1901年であった。
実は、それより150年前、世界三大絵画(他の二つは、エル・グレコ「オルガス伯爵の埋葬」とレオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」と言われている)の一つとして有名な「ラス・メニーナス」を描いたベラスケスは1649年から1651年にかけて唯一の裸婦像を残している。実在の人物をモデルにして描かれたのではないかと思われる裸婦像ではあるが、タイトルは「鏡を見るヴィーナス」(ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵)である。
この作品は、1914年、婦人参政権論者の女性により、7ヶ所の傷をつけられている。
このように、17世紀当時であっても、神の姿を世にあらわすという大義名分が無ければ、当時の芸術家は裸婦像を描けなかった。それも、おおっぴらではなく非常に慎ましやかに、目立たぬようにして描いていたのであろう。
近代現代社会にあっても、フェミニストは女性の裸体が公に表現されることを敵視する。そのような政治勢力からは、いつでもヌードは攻撃対象になりうる。
「裸のマハ」以降では、1862年から1863年に描かれたマネ「草上の昼食」(オルセー美術館所蔵)を巡る事件が有名である。マネはこの作品で、「現実の裸婦」を描いた。サロンに出展するも、不道徳という理由から落選。同サロンに落選した作品を集めた落選展にも展示されたが、同様の理由で批判を受けた。(トップ画像を参照)
作品の手前に描かれた3人は、男性2人が着衣であったのに対して、女性1人だけを裸のまま描いた。更に女性が脱いだ衣服を女性の手前に描くことによって、その場で衣服を脱いだ「現実の女体」を証明させ、この女体が神の姿ではないことを強調した。
現代人から見れば、画期的とも言える「現実の裸婦像」ではあるが、当時は大いに批判の対象となっていた。
もちろん、批判の対象となるぐらいなのだから、見る者に対して非常な性的興奮と、または別の見方をする者に対しては非常な不快感を催させる効果が高かった作品であろうことは想像に難くない。
ちなみに、日本においても江戸時代において、見た人に対して性的興奮を催させる春画があった。明治になって、海外に多く輸出された。当時の日本人にとっては、恥ずかしい文化であったのだが、西洋において、これが芸術として高く評価されると、日本における評価も一転した。今では、日本においても、法的なわいせつ物としての扱いは受けていない。
ここまで、簡単に裸婦像を巡る歴史を振り返ってみると、いかに人間の価値観が現代に至るまで変わってきたのかがよくわかる。
ヌードを世に広めようとする人たちと、政治を変えていこうとする者達は、分野が違えども、共に社会を変えようとして、これまでもずっと戦ってきた。
陳勝は秦の始皇帝の軍隊に反乱を起こして死んだ。項羽と劉邦に先んじて、秦に反旗を翻した先駆者は死んだのである。
政治家が進める運動によって、時には逮捕され、裁判にかけられ、有罪となることもあろう。多くの批判を浴びることもあったであろう。
しかし、それは50年後、100年後には、評価される対象になるかもしれない運動なのである。現代に生きる我々は、どんなに弾圧されようとも、それを信じて運動を続けていくしかない。
本来ならば、政治運動は、半歩先ぐらいが丁度良い。一歩先を行くような政治家は、常に逮捕・束縛・批判と隣り合わせの危なっかしい存在である。そうは言っても、自らの危険を覚悟で政治に取り組んでいる世界各国の政治家を尊敬する私から言わせれば、安全地帯からの政治運動とは、政治運動とは言わない。単なる生業では、その仕事を政治活動とは言えない。
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2009年11月12日