生命倫理学の授業を受けた者として
16日に福祉健康委員会があった。
陳情審査の中では、新型インフルエンザの予防接種が誰でもできるように助成を求める主旨の陳情があった。
前回の委員会における質問によって、新型インフルエンザのワクチン投与によって、すぐに死亡した方の資料が、執行部から提出された。それを見ると、ほとんどが60歳以上であった。具体的なデータを抜粋して以下に列挙する。
50~59歳 2人(3.1%)、60~69歳 11人(17.2%)、70~79歳 20人(31.3%)、80歳以上 29人(45.3%)
医師による見解では、ワクチン投与と死亡との因果関係は認められないという。ガンなどの別の病気による基礎的疾患により、そもそも最初から余命が少ない人に対してワクチン投与したので、たまたま偶然にワクチン投与の後、すぐに死んでしまったということらしい。
さて、ここで話はがらっと変わって私の学生時代の思い出話となる。
私はその昔、千葉大学教育学部の学生ではあったが、卒業単位には関係ない文学部の生命倫理の授業を聴講していた。
そこで加藤尚武教授は、次のような質問を学生に対してした。
「ここに1人だけ治るという薬がある。それに対して、この薬が欲しいと言う患者が10人いる。さて、あなたならば、どのような人にこの薬をあげた方がいいと考えますか」
この様な質問だった。
これは正解を求める質問ではない。想像力を養う質問である。だから、患者10人というのは、仮の数字であって、この10人は無限に想像の対象として設定して構わない。
以下、その時、出てきた回答を列挙してみよう。
・若い人
・症状が酷い人
・じゃんけんで勝った人
・将来有望な人
・業績の残した人
以下、延々と回答は続くわけだが、主だった回答はこの様な回答だった。
陳情審査などをしていると、私たちは何気なく、財政が無尽蔵にあって、医師が無尽蔵にいて、医療設備が無尽蔵にあって、ワクチンも無尽蔵にあることを無意識なる前提として、いかに多くの有権者が幸せになれるかを考えて、審査にあたろうとしてしまう。
しかし、財政も医師も医療設備もワクチンも無尽蔵ではない。それ全てが有限であって、有限の中にあって、それをどう有効利用するかを考えることが、現場の人間だけでなく、政治家にも任された「決断」という仕事だと思う。
生命倫理学の授業を受けたときに、10人の内、誰かを助けると言うことは、同時に、誰かを助けられない、誰かを殺さなければならないという選択を授業の中で迫られたことに等しい。
人が死ぬことを望む人は誰もいないだろう。だがしかし、その授業においては、残念ながら、若かろうが、年寄りだろうが、今すぐに死にそうな人に、その薬を投与した方がいいと答えた学生は一人もいなかった。
これが、1つの真っ当な価値観である。
新型インフルエンザは、その多くが、高校生を中心とした若年層に発症し、高齢者などでは発症しにくいこと。また新型インフルエンザのワクチン投与によって、その因果関係を考えずに、すぐに死んだ人の数が、圧倒的に60歳以上が多いと言うこと。
この2つの事実からして、私は、高齢者に対して、新型インフルエンザのワクチン投与に対する助成は必要無しとの見解である。
これから政府は、充分なワクチンの製造をすると言うことらしいが、そのような状況になったとしても、対象者の優先順位として、高齢者が先に来ることは止めた方がいい。
蛇足ながら、これは新型インフルエンザに対しての見解であって、季節性のインフルエンザにおけるワクチン投与について、高齢者を対象者から外した方が良いと言う見解を私自身がもっているというわけではないことは誤解しないでいただきたい。
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2009年12月17日