自民党は、真綿で首を絞められるがごとく衰退していく
2009年12月26日1時40分 asahi.comより
自民党の現職の参院議員3人が年末に相次いで離党の意向を表明し、1993年の野党転落時の再現を恐れる声が広がっている。党支持率が低迷し、来夏の参院選の勝算が立たず、党再建の道筋が見えないことが、議員の不安をかき立てている。
離党第1号は来夏に改選を迎える田村耕太郎氏(46)=鳥取選挙区=だった。現職を公認する場合も、党員による信任投票を実施しようとした県連との関係が悪化。最後は県連が折れて11月下旬に田村氏の公認を申請したが、田村氏は「変わろうとしない党には従えない」として、一方的に離党を表明した。
長谷川大紋氏(66)=茨城選挙区=の離党表明はさらに衝撃だった。衆院茨城7区で自民現職と戦った中村喜四郎衆院議員の所属する改革クラブと自民党が統一会派を組んだことに反発。「執行部に不満がある」と言い放って離党届を提出。長谷川氏は来夏の非改選組で、参院選後の議席配分にも影響するだけに、執行部のショックは大きい。
比例公認が内定していた全国土地改良政治連盟顧問の南部明弘氏が公認辞退を検討していることも判明。業界団体の自民離れとともに執行部の求心力低下を印象づけた。
さらに25日には、来夏の参院選には立候補しないと表明している山内俊夫氏(63)=香川選挙区=が党本部に離党届を提出したことを明らかにした。国会で統一会派を組む改革クラブに入党する意向だという。
山内氏は朝日新聞の取材に対して「自民再生の動きと連携するための橋渡しとなりたい。今の民主党政権にはいろんな問題が起きている」と離党の理由を語った。山内氏は「改革クラブの渡辺秀央代表から入党の要請があった」としている。
自民党執行部はこうした離党の連鎖を断ち切ろうと必死だ。24日に党紀委員会(委員長・中曽根弘文参院議員)が田村氏を除名処分にせず離党扱いにすることを決めると、大島理森幹事長は記者団に「本来は除名に相当する」と強調した。
大島氏は25日には参院の重鎮である青木幹雄氏を訪ね、協力を求める一方、世代交代を唱える菅義偉元総務相とも会談。ただ、菅氏からは逆に定年制に反して片山虎之助元総務相や山崎拓元副総裁を比例区に擁立しないよう迫られた。(伊勢剛、岩尾真宏)
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全くもって望ましい傾向にある。政権政党で無くなった自民党は、既に自民党にあらず。
私は前々から思っていたとおり、自民党とは政権政党であることが、唯一無二の存在理由だった。その政権政党から滑り落ちたときから、自民党は自民党としての形を保つことができなくなっていくだろう。そう予想していたが、その通りになりつつある。
これでいい。日本の政治にとって、自民党は消えてなくなってもいい。
私はかつて細川内閣が、たった9ヶ月の命で崩壊したことを良く覚えている。それによって、自民党は政権政党に復帰し、再び自民党が下野するまで、15年の月日を要してしまった。この間、小泉内閣はあったにせよ、それ以外の時期は、ほぼ日本政治にとっては無為な15年であった。この教訓から言えることは、逆説的だが、民主党は、何が何でも、4年間は政権政党であり続けること。それが自民党をやせ衰えさせる一番の方法である。
自民党政治は、「何も変えない」安心をセールスポイントにしていた。もちろん、変わらない社会を望む人もいるだろう。しかし、変えるべき所を変えることに躊躇していては、社会に順応はできないし、また社会を構築していくことも出来はしない。
私のようにずっと野党畑にいた政治家にとっては、あまり想像できないのだが、常に自分は与党にいたいと考える政治家は少なくない。特に自民党の中は、「寄らば大樹の陰」という政治家ばかりだ。それがどれだけ、日本の政治の歩みを遅くしてしまったことか。私は自民党が下野することによって、そのような「万年与党」的な議員を有権者によって、選別して欲しいと思う。それによって選別され、自民党を離党したような人とは、場合によっては同じ政治勢力の中で共闘することもあるだろう。
どちらにしても、私は自民党に取って代わり、民主党よりもっと魅力的な野党第1党を作るような政治的立場に我が身を置くことになる。仮に二大政党制が、この日本に必要だとしても、その中身は、自民党と民主党という今までの構図ではない。少なくとも、自民党を野党第1党から引きずり下ろして、違う政党を野党第1党として格上げさせることが、私の使命となってこよう。
それまでの間、民主党は、どんなに叩かれても政権を投げ出すことなく、続けて欲しい。自民党からは、どんどん離党者が増えて、やせ衰えて欲しいのである。
政界が流動化してこそ、はじめて私のような「個人」で活動している政治家にも、チャンスが巡ってくるかも知れない。
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2009年12月26日