片山右京氏の遭難に関して
野口健氏が以下のようなコメントをブログでしている。
右京さんが下山を開始したのは午前11時過ぎ。遭難してから約12時間後。動く事もなく仲間に覆いかぶさったままの状態は右京さんにとってもギリギリの状況であったはず。
右京さんが仲間を残したまま下山したのは間違えていなかったと思う。最後は生き延びなければならない。極めて冷たい表現に写るかもしれませんが、冒険では一部例外を除けば基本的には自己責任が求められるもの。(中略)
山岳遭難には様々なケースがあります。経験不足による遭難もあれば、どんなにベテラン登山家でも相手が自然となれば時に遭難することもある。実際に一流の登山家も山で遭難してきたわけです。防げる遭難もあれば防げなかった遭難もあっただろう。なにしろ、生と死の世界が入り交ざるギリギリの世界の中で挑戦を行えば当然、リスクは付きまとう。
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私はこのような冬山登山はしない。知識もなければ経験もないし、そこまでして冒険をしたいとも思わない。でも日帰り登山ぐらいはするし、ハイキングのような山歩きは大好きだ。
http://www.t-ken.jp/diary/20090811
こちらでも既に書いたように、今年は利尻富士に登ってきた。往復11時間30分の行程だった。下山途中は、脱水症状を起こして、死なないまでも、その場で倒れてしまうのではないか思うほど、身の危険を感じた。
冬山登山に比べれば、たいしたことはないようだが、私は元来、苦しくて魂が叫びたくなるようなスポーツは嫌いじゃない。
私はまた、スキューバダイビングを行う。スキューバダイビングは、バディシステムといって、常に2人1組で泳ぐことを求められるスポーツである。それだけ危険と隣り合わせのスポーツであると言える。スキューバダイビングをするにあたっては、しかるべき任意団体の授業を受けて、しっかりと知識を覚えて、潜ることを要求される。
溺れている人を助けるにはどうしたら良いか。そのようなことも学ぶ。
その時、習ったことは、「まずは自分の身の安全を第一に確保する」ということだった。溺れている人を見つけたら、その場で飛び込んで、溺れている人を直接助けようとするのは下策となる。溺れている人というのは、何にでもしがみついて、助かろうとする。よって、本来助けに来た人であっても、容赦なくしがみつき、救助活動を邪魔してしまう。人一人が、「生きたい」と思ったときに出てくる力は半端なく強い。これによって、溺れた人だけでなく、助けようとした人までも溺れてしまうことがあるという。
今でも、時々起こる水難事故で、溺れてしまった人を助けようとして、助けようとした人も含めて、お亡くなりになるケースがある。突然の出来事で、どうやって溺れている人を助けるべきか、その授業を受けていないような人ならば、下策な行為をしてしまうのも仕方ない。ただし、それによって、本来は亡くなる必要が無い人の命まで亡くなってしまうことは残念だ。
では、自分の身の安全を確保しつつ、どうやって溺れた人を助けるのか。先ず第一に、自らは水には入らない。浮き輪を投げるなり、ロープを投げるなり、長い棒を差し出すなりして、助けようとする。そのようなことが有効な手段でなかった場合、そこで初めて、自らが入水することも選択肢となる。その場合でも、急に溺れている人に近づいてはいけない。どんなに近づいても、約2メートルぐらいの溺れている人がつかみかかって来られない位の位置で止まって、相手に声をかけながら、相手の様子を観察することである。そして、近づくときには、正面からではなく後から近づく。正面から近づいて抱きつかれたら、どうしようもないからだ。万が一、正面から抱きつかれ、自分も溺れそうになったときには、水面下に逃げる。水の中ならば、溺れた人も追っては来ない。そうやって、相手の背後に回って、溺れる者を後から捕まえる。
とまあ、このぐらいのことは、授業で習うのである。
それでも最終的には自己責任である。自己責任を取ることができない者が、危険を伴うスポーツに対して、安易に行うべきではないだろう。
政治の世界も全く同じようなものだ。選挙での落選は、生物上の生命は失わないが、政治上の生命は失う可能性がある事件となる。そんなとき、所属していた政党が悪いとか、運動を手伝ってくれたスタッフの働きが悪いとか、対立候補が強すぎたとか、自分以外のものに対して、落選の原因を探ろうとする候補者は多い。もちろん、それは事実として正しいこともある。しかし、そのような原因探しは、自分自身が静かに1人で行うべき行為であって、最終的には、候補者が全ての責任を負うのである。それができない人は、政界に足を踏み入れるべきではない。
ギリギリの局面にあって、誰も自分を助けてはくれない。そのぐらい、ドライに割り切って考えないとダメだ。選挙が始まる前は、「手伝います」と言っていても、いざ選挙になると何だかんだ言って、手伝ってくれなかった人もいた。でもそれは仕方が無い。そう自分に言い聞かせてきた。
ただし順風の時は、それが見えない。周りに人も多く、そのありがたみがわからないまま過ごしてしまうことが多い。それでも、逆風になったときに、自分が一人であることに気がつくだろう。それでも助けてくれようとする人のありがたみを知ることがあるであろう。
片山右京氏の話に戻せば、どんなに自己責任とは言え、私が氏の立場ならば、遺族に対して、土下座して謝ると思う。また亡くなった二人に対しても、土下座して、最大級の謝罪をすることだろう。もちろん、自分だけ下山してしまうことは、犯罪では無いし、刑事罰に問われるようなことでもない。自己責任であることは、亡くなった本人のみならず、遺族の方だってわかっていることだろう。でも、でも、でも、やはり人間だから、割り切れない気持ちは絶対に残る。そのやりきれなさを思うと、胸が痛い。
そんないたたまれない気持ちにさせてくれるアニメがある。
「君が望む永遠」
直接的ではないにせよ、交通事故で恋人に重傷を負わせてしまった遠因を、自分が作ってしまった場合、その責を感じた本人は以後どう振る舞うべきか、正に見ていていたたまれなくなるアニメである。もし興味があったら、ご覧ください。
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2009年12月27日