残業手当に対する哲学の違い
残業時間の長さに応じて残業代割増率を引き上げる改正労働基準法が4月1日に施行される。これまで残業代割増率は一律25%以上だったが、月60時間超の残業には50%の割り増しが企業に義務づけられる。ただ、中小企業への適用は見送られ、3年後に改めて検討することになった。
私の古い記憶で確かな情報ではないが、これがヨーロッパになると事情が変わってくる。
残業代は一律50%以上。休日出勤も一律50%以上。よって休日残業となると、割増率は100%以上になる。
このような条件を日本の経営者が聞いたら大反対するに違いない。「とてもそんな金額は払えない」そのように言うだろう。
しかし条件はヨーロッパの経営者も同じことである。「とてもそんな金額は払えない」から、働かせないようにするのである。
日本の経営者のように、働かせることを前提とした割増率ではなく、働かせないことを前提とした割増率にしないと残業は無くならない。このように日本とヨーロッパでは、労働に対する根本的な哲学が違うのだ。哲学が違うからこそ、具体的な制度がそれに反映して違ってくる。
私は予言しよう。今回のような制度改正では日本の長時間労働は改まらないし、過労死や過労自殺も減りはしないだろう。多少賃金が増える労働者が出てくるかもしれないが、「働かされる」構造は基本的には変わらない。
どうだろう。日本においても「残業させてはいけない」という価値観を社会的に導入してはどうだろうか。残業代とは労働者に対する「ご褒美」ではなく、経営者に対する「罰金」として位置づけにするのだ。それによって割増率は自ずと変わってこよう。「罰金」を払いたくない経営者は労働者を早く解放するだろうし、それでも仕事が間に合わなければ、より多くの労働者を雇うことになるだろう。
私は議員になってから、スペインに短期の語学留学をした。そのとき同じ家にホームステイしていたフランス人の女子大生から私は「日本人は何のために働くの?」と根源的な質問をされてしまった。もちろん彼女は日本では過労死が問題となっていることを知っている。そのときの私は、「日本人は働くために働くのだよ」と茶化した答えをしてしまった。正直に言えば何のために働くのか、その根本を日常的には考えたことが無かったのだ。同じ質問を彼女に投げかけてみると、彼女の答えはストレートだった。「私は家族のために働く」と。
この答えの意味は、日本人の答えとはまるで違う。彼女の答えには、家族のためにならなければ働かない。つまり家族と一緒に過ごす時間を大切にするため、残業はしない、過剰に働かないという意味が込められている。
労働者には、一日の内8時間だけ、会社のため、社会のために、その身体を奴隷労働としてお借りしましょう。しかし、会社は8時間以外の時間は基本的にその身体を家族の元へとお返ししましょう。
このような考え方を、この日本でも一般的な価値観として私は定着させたい。そのために法律を変える必要がある。それが私の仕事となる。
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2010年01月09日