質は数に比例する。(議会の質は「発言」数に比例する)
escala cafe 2010年01月22日より
http://escala.jp/jyoshi/2010/01/post_497.html
「恋愛力がある!」と思うのってどんな女子?
■「聞き上手な子」(26歳/食品)
■「男性をたてることができる人」(28歳/アパレル)
■「常に出会いのアンテナを張り巡らし、『イイ男』を見分ける力を持った人」(24歳/医療系)
■「傷つくのを恐れず前進できる人」(24歳/電機)
(中略)
恋愛の「数」が多くたって、「質」がよくなきゃ意味がない! とも思うのですが、チャンスを引き寄せることができる力も恋愛力のひとつなのかもしれません。あなたのまわりの「恋愛力」がある人って、どんな人ですか?
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恋愛においては、「数が多くたって、質が良くなきゃ意味がない」という命題を否定するつもりはありません。
しかし、他の分野においては、数と質は密接に関係していると私は考えます。
例えば、医者の世界では、手術例が多い医師ほど優秀であるとされています。心臓手術が3回の医師と、心臓手術が100回の医師とでは、あなたはどちらの医師に心臓手術をお願いしたいですか。
そういうことです。
統計では、医師ではなく、病院単位で表されるようですが、手術はたった一人で行うことではありませんので、実質的には同じ事だと思います。
http://www.plainspot.com/movie/michael-jordan-ad/
マイケル・ジョーダンが出演したナイキのCMです。
そこで語られた彼の言葉が以下の通りです。
「プロでミスしたシュート9000本」
「負けゲーム約300」
「ウイニングショットをはずした事26回」
「今までミスしてきた」
「何度も、何度も、何度も」
「だから、俺は成功する」
マイケル・ジョーダンは、プロバスケットボールにおいて「神」と呼ばれるほど成功した人物です。
また物書きにとって、良い物書きになろうと思ったら、たくさん書くことだと聞いたことがあります。それは絵描きにとっても、同じ事のように思います。もちろん寡作であっても、名を残した優れた人物はたくさんいたでしょう。しかし、それは一部の天才であって、凡人が天才の域に少しでも近づきたいと思えばこそ、「数」はとても必要なことだと思います。
さて、そこで江戸川区議会の話です。
江戸川区議会は、一人会派に対して、年1回しか質問することを許していません。
他会派にあっても、極端に時間制限をすることによって、実質的に、一人とか、二人しか質問できない会派もあります。
この様な議会運営を進めてきたのが、江戸川区議会の自民党と公明党です。
どうでしょう。これは議会の自殺行為ではないでしょうか。
区議会議員一人に1000万円以上の税金が使われているのに、その一人一人の議員をまともに働かせようとしない、いやむしろ合法的なサボタージュを推進している自民党・公明党の議員こそ、税金の無駄遣いとは言えないでしょうか。
自民党と公明党が多数を握り、政治を行うと、江戸川区議会のように後ろ向きの改革、いや改悪しかしないのです。議会の質の「高い、低い」を、一つ一つの質問内容から評価するのは、とても難しいことでしょう。
しかし、数は存在は、一目瞭然です。
江戸川区議会は、一般質問の数が他議会と比べて、圧倒的に少なく、質の低さは一目瞭然です。
予算特別委員会・決算特別委員会にも、43名の議員がいるにも関わらず、出席できるのはたった15名という1/3の議員だけなのです。出席人数の割合が少ないことからも、同様の質の低さが伺えます。議員一人の権利を極端まで、剥奪して、議会に参加させない、自民党と公明党の政治姿勢は、もっと強く区民から糾弾されてしかるべきです。こんなことをしている他の議会は、他にありません。もしあるのだとすれば、是非教えて欲しいほどです。
私は政策の善し悪しを問うているのではありません。議員一人の権利を認めよと、自民党・公明党に言い続けているのです。それが彼らには、全くちんぷんかんぷんでわからないのです。
普通、他の議会では、重要審議ともなれば、議員全員出席、またはせめて半数の1/2の議員は出席して、より多くの議員の中で審議が行われているのに、江戸川区議会は、この様な基本的条件においても遅れているのです。江戸川区議会の存在が、日本全体の議会制民主主義のレベルを引き下げていることに、当の責任者である、自民党・公明党の議員、そして区議会事務局長は全く気がつきもしていないのが現状です。
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2010年01月26日