田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

石川知裕議員の心中を察する

2010年2月12日 asahi.comより


 小沢一郎・民主党幹事長の元秘書、石川知裕衆院議員が11日、離党届を提出した。保釈後は小沢氏と会うこともなく、自ら離党を決断したことを強調した。鳩山政権は石川議員の離党で「政治とカネ」の問題の幕引きを図りたいところだが、政権への風当たりが弱まるか見通せない。


 「小沢幹事長に判断を仰いだり、連絡を取ったりはしていない」。石川議員はこの日の記者会見で、離党は自らの判断であることを強調した。


 石川議員は5日夜の保釈直後から、「みんなに迷惑をかけたくない」と周囲に離党する考えを漏らしていた。


 党に残れば小沢氏への批判に直結しかねない。あくまでも自らの判断で決める――。そんな思いが強かった。だが、同僚議員から「後援会の人たちの意見を聞いてから判断するべきだ」と言われ、後援会への説明を優先させた。
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 私は別に石川知裕議員を擁護する立場にはない。
 しかし、1月15日に逮捕され、2月5日に釈放されるまでの21日間、留置場にて、彼の心中を察すれば、様々なことも様々な思いがあっただろう。
 これは逮捕、勾留された経験者でなければわからない。石川議員は連日、警察からの取り調べを受けていたはずである。それに対して、言いたいことも十分に言わず、じっと我慢してその時間を過ごしていたに違いない。それがどれだけ辛いことか。
 その間、新聞報道では、言ってもいないようなことが検察リークとして好き勝手に流されたりしていた。もちろん、勾留中の本人には、関係する記事が切り取られた新聞しか見せてもらえなかっただろうから、そんなことは知るはずもないのだが、絶望なり不安なりをたくさん抱えた中での勾留生活だったに違いない。
 釈放されたとしても、「周囲に迷惑をかけたくない」として離党を決断した本人の意志とは、本人の意志を誘導した別の意志による反映であることは、素人の目から見ても明白である。でも、それは本人さえも言えない公然の秘密だ。

 物理の法則ではないが、人間の地位における位置エネルギーもまた、高ければ高いときほど、地に落ちたときの衝撃度は大きくなる。過去に国会議員でありながら自殺した人たちが何人いたことか。
 戦後すぐの動乱期を除いて、近年、政治家の自殺が顕著になってきたのは、1983年の中川一郎57歳からだった。以下、事実だけを列挙すると、1983年松本幸男56歳。1988年
仲谷義明63歳。1991年名尾良孝74歳。1998年新井将敬50歳。2000年中島洋次郎40歳。2005年永岡洋治54歳。松岡利勝62歳。永田寿康39歳。
(既に亡くなられた歴史上の人物として判断したため、敬称は略しました)
 自殺のような死亡と言うことでは、中川昭一56歳も記憶に新しいところである。
 石川知裕議員も、一時は自殺も噂されたが、今のところは無事に生活されているようで何よりである。

 学術的に言えば、推定無罪という原理原則はあるのだが、これが日本の庶民相手には通じない。推定無罪という原則が確立していれば、裁判所によって刑が確定するまでの間、被疑者は無罪の扱いで望まなければならないわけだが、今回のように嫌疑をかけられているというだけで、対象者が「悪人」のように見えてしまう。扱われてしまう。もちろん、それは検察の狙いであって、検察は、対象者に対して疑いをかけるだけで、その物を「悪人」に仕立て上げることが事実上できるのである。公正な裁判を経ずして、対象者に実質的な罰を与えることができるこのような検察組織の権力には、もっと国民が注意深く、この権力をコントロールしなければならないわけだが、検察とマスコミによる共謀によって、国民の多くは、検察こそ正義の味方であると信じ、批判の対象としていない。
 日本は官僚国家だと言われる。官僚こそが、この国を動かしているのだと言われる。それならば、官僚組織そのものである検察こそが、この日本という国を実質的に動かしている「主体」であると、なぜ多くの国民は気がつかないのであろうか。
 脱官僚とか、公務員批判を大いにしてきた人たちであっても、問題が核心部分である検察になると、批判の矛を収めてしまう。それでは正に、画竜点睛を欠くのである。脱官僚や公務員批判は、当然の帰結ながら、検察と警察にまで及んでこそ、全体像をなすのだ。


 石川議員に対しては、今後、民主党が政策実現の一環として行うであろう、取調の可視化なども含めた、検察と警察改革について、離党してもなお頑張って欲しい。これは実際に逮捕された経験がある者だからこそできる仕事である。
 今回、石川議員は民主党を離党しての無所属の一国会議員としての立場になったが、不肖田中けんもまた、一人の無所属議員である。無所属には無所属としての生き方がある。
 これから氏の議会活動について、私は大いに期待している。


2010年02月12日