ベーシックインカムという考え方
民主党の子ども1人あたり月額26,000円の子ども手当てが議論になったとき、庶民の間で問題になったのが、所得制限を行うのか、行わないのかだった。
世論調査を調べてみると、09年11月23日付けの産経新聞では、64.1%が所得制限に賛成となっている。09年12月20日付けの読売新聞では、72%が賛成。同日付の毎日新聞では、71%が賛成。この様な結果になった。多くの人たちは、「金持ちに子ども手当ては必要ない」という発想なのだろう。感情的にはわかるのだが、賢い発想ではないとして、以下のようなデータを試算した人がいる。
子ども手当てに必要な財源は2兆2554億円。
年収2000万円以上の人を制限した場合に浮く財源は20億円(約▲0.9%)
年収860万円以上の人を制限した場合に浮く財源は2000億円(約▲8.9%)
所得制限によって捻出できる金額はそう多くはない。
所得制限を行うということは、誰が金持ちで、誰が金持ちではないのか、非対称者と対象者を選別する「余計な仕事」を行政がしなければならないということだ。この「余計な仕事」によって、事務手続きが煩雑化してしまい、所得制限を行わないよりも、所得制限を行った方が、より多くの税金が使われてしまうという逆転現象が発生することが議論によってわかった。
もちろん、所得制限をどこに設定するかによって、逆転現象が解消される場合もある。ただし、その場合は、所得制限を極端までに低く設定しなければならず、それはそれで対象者が大幅に減ることから、少子化対策にはならない。子ども手当ては少子化対策という名の「産めよ増やせよ」という政策であって、(私は懐疑的だが)仮にお金を各家庭に配ることが出生率増につながったとしても、対象者を多くしないと、日本全体的な出生増にはならないのである。一部の貧困層だけの出生率が上がったところで意味はない。よって、貧民救済的福祉事業とは言えない子ども手当ては、その対象者が限りなく多い方がいいことになる。
結論として、所得制限は必要ない。誰でも平等に、子ども1人あたり月額26,000円を支給しようという話に落ち着いた。
この事例が我々に教えてくれる教訓は、制度というものは、なるべく単純でわかりやすい方が財政支出が少なくて済むと言うことだ。一見すると、多大なる財政支出のように見える政策であっても、構造が単純であれば、それほどの支出増にはならないということである。
ここにベーシックインカムという考え方がある。ウィキペディアを参考に説明すると、これは最低限所得保障の一種で、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活をするのに必要とされている額を現金で無条件に支給するという構想。
ここで重要なのは「無条件に支給する」ということだ。先ほどの子ども手当てにおける所得制限でも説明したとおり、条件付きにすると、多額の税金が使われる割に、支給額が小さくなって効果がなくなってしまう。無条件であると言うことが大きなキーワードになってくる。
新党日本の田中康夫氏は、ベーシックインカムについて以下のように語っている。
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ヨーロッパで生まれたベーシック・インカム構想は、ゲッツ・W・ヴェルナーによれば、「生活に最低限必要な所得を全ての個人に無条件で支給」し、「『万人の真の自由』と生存権を保証」するシステム。働いている人も働いていない人も、おばあちゃんも赤ちゃんも、体の不自由な人もそうでない人にも均等に支給し、自分の判断で自由に使っていただく所得保障-。
おいおい、それこそは究極のバラマキじゃないか、と早とちりされる向きも現れましょう。いえいえ、これこそは大きな政府の対極に位置する、すなわち、行政組織と労働組合のスリム化を同時に達成し、個人に立脚した中福祉・低負担の社会を実現し得る画期的方策なのです。
仮に、ベーシック・インカム1人当たり年間60万円(月額5万円)を支給し、所得税率一律30%とする政策を導入するとしましょう。
所得が200万円の4人家族の場合、ベーシック・インカムは60万円×4=240万で、所得税は200×0.3=60万円。すなわち、240万円(ベーシック・インカム)+200万円(所得)-60万(所得税)=380万円が可処分所得。同様に、所得が1000万円の2人家族なら、120万+1000万円-300万円=820万円が自由に使えることになります。
景気対策の名の下に旧態依然な財政出動を行えば、特定の団体や業界が霞が関に頭を下げる手合いの予算が増え、役所の権限と天下り先が増大するだけ。終身雇用と専業主婦が主流だった時代の発想から脱却せねば、労働も家族も多様化している現状に対応し切れません。
政府が生存権を保証するベーシック・インカムの導入は、多分に裁量行政だった社会保障制度(年金や生活保護、失業保険)にかかわる社会保険庁や自治体の福祉事務所の廃止を実現します。効率的な小さな政府と行政の出現で、「脱・福祉切り捨て」、「脱・行政の肥大化」が同時に達成できます。すなわち、意味なき組織と予算のムダ分を、他の重点政策に振り向ける選択も生まれます。さらには、麻生政権の支持率とくしくも同じ加入率18%と低迷し、残り82%の勤労者の立場を代弁し得ぬ労働組合を、良い意味で溶解させる触媒にもなり得ます。
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タナカケンの言葉で、簡単に、わかりやすく説明する。
田中康夫氏の高説を引用して話すと、ベーシックインカムとは、一人あたり月額5万をのお金を政府が国民に対して無条件に配分するという考え方。ただしその代わり、年金、生活保護、失業保険のような福祉事業は廃止する。景気対策に名を借りた公共事業もやらないという事なのだ。
そして、中福祉、低負担の社会を作っていく。
月額支給額をいくらにするか議論に値するが、私は基本的には良い考え方だと思う。
現代社会にあって、純粋に食べ物を作ったり、採ったりして、「食べるための生活」をしている人は、本当に極少数しかいない。つまり現代社会では食料は十分足りている。ただし、配分の問題があって、一部飢餓で苦しむような人も世界にはいるが、それは総量の問題では無く、物流の問題だと考えられている。
ましてやこの日本において、食べられないなどと言うことはありえない。最低限の食べられる生活を国家が保証してあげましょうという発想は、生活保護がそうであるように、何も珍しいことではない。ただし無条件。無条件である以上、貧乏人も、金持ちも一律お金はもらえことになる。くどいようだが、貧乏人だけに配って、金持ちには配らないように選別すると、その作業のためだけにコストが発生して、「余計な仕事」を公務員にさせ、公務員の人件費が大きくなるため、そんなことはしない。
私も逮捕されて留置場に119日間いて、そこで身をもって知るのだが、お金が無いが故に、無銭飲食などの犯罪を犯してしまう人が、現実の世の中にはたくさんいる。彼らは、最低限、食べられるだけのお金があれば何も犯罪を犯さなくてもいい人たちだ。そんな彼らも逮捕されて、留置場なり刑務所なりに行けば、お金がいらない生活ができる。職がないのに釈放された方が、明日から何をして食べていけばいいのか困ってしまう。そのために、また軽微な犯罪を犯して逮捕されて、留置場に戻ってくる。
はたして、このような生活は本人にとっても、社会にとっても望ましいことなのだろうか。最低限のお金をそのような人たちにも配ることによって、逮捕されることを目的とした犯罪が少なくなれば、警察官だって少なくていいし、刑務官だって少なくていい。留置場や刑務所だって少なくて済むし、弁護士や検事の仕事量だって少なくなる。
かのマルクスは一人の犯罪者の存在が、どれだけの雇用を社会にもたらしているかと言ったそうです。雇用を作ると言えば聞こえはいいが、これ全て税金による対応だ。逆に言えば、一人の犯罪者を減らすことが、どれだけ公務員の雇用を減らして、税金を無駄遣いしなくて済むかと言うことになる。
ベーシックインカムは、
「貧困による犯罪を無くすために、社会にお金を配りましょう」という発想なのだ。
今はまだ、多くの人たちが「究極のばらまき」だと思うだろう。私も理論的にはわかるのだが、まだ不確定要素も多いことから、半信半疑であることは正直にお伝えしておこう。
しかし、お役所仕事によって、「余計な仕事」が多く存在し、多額の税金が使われていることは事実だ。複雑であることが、そのまま多額の税金が使われる現象を引き起こしているのならば、一見不合理のように見えようとも、制度を単純明快にしてしまった方が、大きなソロバンをはじけば、かえって少ない税金で運営できる事業も多々あるだろう。
ベーシックインカムと言う言葉は、まだまだ新しい言葉だ。この考え方を多くの人たちと議論することによって、その目的とする、効率がいい小さな政府と、中福祉・低負担の国家の実現を、私も目指していきたい。
2010年02月24日