田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

「やらずぶったくり」とは、このことか。

スポーツ後進国 日本
2010年2月23日17時8分 asahi.comより


 僕はこれまで本当に多くの方にお世話になった。地元の方々、応援してくださった皆様、用具の面倒を見てくださる方、日本オリンピック委員会(JOC)の皆さん。すべての人の支えがあって、4大会連続五輪出場、金、銀、銅メダルの獲得があった。


 不遜(ふそん)かもしれないが、申し送りをしておきたいことがある。少し、厳しい言い方になる。が、聞いていただければ幸いだ。


 日本はまだまだスポーツ後進国というしかない。五輪の期間中、国中が注目しメダルの数を要求される。選手が責任を感じるのは当然だが、ノルマを課せられているような感じにもなる。それまでの4年間のフォローを国やJOCはきちんとしてきたのだろうか。


 政府の事業仕分けが行われ、スポーツ予算は削られる方向になった。全体的な削減は仕方がないとしても、仕分けの仕方は適切だろうか。


 例えばお隣の韓国はスポーツ先進国になった。国威発揚という特殊な事情があるにせよ、お金の使い方が違う。日本には国立スポーツ科学センターがある。韓国にも同じような施設がある。韓国ではそこに選手が集められ、招集された時点で、日当が出る。日本では利用するのに料金が発生する。韓国ではもし、メダルを取れば、ほぼ生涯が保証されるのに対し、日本の報奨金は多いとは言えない。


 バンクーバー五輪では、JOCの役員、メンバーが大挙して現地入りしている。予算は限られている。そのため、選手を手塩にかけて育てたコーチや、トレーナーがはじき出され、選手に快適な環境を提供できていない。お金の使い方が逆だろう。


 競技スポーツだけではない。「1人1ドルスポーツの予算をつければ、医療費が3.21ドル安くなる」という統計を見たことがある。ヨーロッパではスポーツ省のある国が多い。スポーツを文化としてとらえる発想が根付いているからだ。生涯スポーツが、また競技スポーツのすそ野となる。


 五輪の時だけ盛り上がって、終わったら全く関心がないというのではあまりに悲しい。日本にスポーツ文化を確立させるため、国もJOCも努力を惜しまないでほしい。(長野五輪金メダリスト・清水宏保)
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 オリンピックが終わった。成績だけを見てみると、金メダルが、0。銀メダルが、5。銅メダルが、2。金メダル獲得順の各国のメダル一覧表を見てみると、日本は20位という結果になった。
 参加国・地域は、82。その中で、メダルを取った国は、25。この様な現実を目の当たりにすると、実はメダルを取ったことだけでも、凄いことなのだと思う。


 選手は何も国を背負ってスポーツをする必要はないと思うとは、前述した私の言葉だ。でもそれはあくまでも建前に過ぎない。もちろん建前とはいえ、ないがしろにしてもいいなどとは思わないが、やはり個人的感情として言えば、日本人選手には多く勝って欲しい。


 多くの日本人がそうであるように、彼ら、彼女らの勝利によって、たとえ一瞬とはいえ、どれだけ多くの日本人たちが、まるで自分のことのように狂喜乱舞したことか。
 「夢をありがとう」なんて言葉もあったが、本当にありがとうだ。「お疲れ様でした」「ご苦労様でした」。メダルを取った選手であろうが、取れなかった選手であろうが、選手たちには、ねぎらいの言葉をかけてあげたい。選手に対してねぎらうことが不遜だとするならば、「ありがとうございました」「お世話になりました」これでどうだろうか。


 さて、オリンピックに関しては、服装の乱れが大いに議論の対象となった国母問題などがあった。賛否両論あって、私にとっては正直興味ない話題であったのだが、オリンピックが終わってみて、改めて興味を持ったことがあった。


「日本の代表とは何か」
 この意識だ。私からすれば、日本人が勝てればいいよね。そのくらいの軽いノリなのだが、選手が感じる日本国民の期待による重圧はそんなものではないだろう。その重圧によって踏みつぶされてしまいそうになる中、むしろ国家による重圧を忘れて競技に集中しようとする選手は、色々な気分転換なり仕掛けなどをしているに違いない。
 国母選手の服装に関しては、それが彼なりのリラックスできる表現だったのだろうが、結果として、競技前の選手に多大なるプレッシャーを与えることによって、良い成績を残すことができなかった。善し悪しはともかく、結果論から言えば、日本の優秀な選手を日本人が事前に潰したようなものだ。
 やくみつる氏は、「国母選手は本国に召還すべきだ」とまで言った。
 国費でオリンピックに行っているのだから、しっかりした服装をするのは当然だとも言われた。


 国費・国費・国費・血税


 では、前述した清水宏保氏が語ったように、日本国民は、諸外国に比べて、日本人選手に対して、そんなに偉そうに振る舞えるほどの「国費」を使って、選手たちの待遇面を支えてきたのだろうか。
 否、決してそんなことはない。100歩ゆずって、日本が経済後進国のような国ならば、オリンピック選手の待遇改善について、国費投入が少ないとしても、仕方が無いだろう。しかし、いやしくも日本は経済大国と呼ばれる国である。2008年の統計では、名目GDPは世界第2位が日本である。近年、中国に抜かれたという直近の報道もあるが、それでも世界第3位だろう。
 それなのに、スポーツに関する予算は少なく、国民からは不遜な対応で期待され続けている選手たちは、どんな気持ちなのだろうか。


「戦車や戦闘機を持つ敵国に対して、ピストル一丁で戦って勝ってこい」
 そんな気分ではないだろうか。
 出すものも十分に出さないで、「勝ってこい」と過剰な期待をされて、しかも、時には「帰ってこい」とか「辞退しろ」とかメチャメチャ言われて、それでも戦ってくる選手たちとは、どんな気分なんだろう。


 国民の1人として多くの日本人に対して言うことがあるとすれば、もし選手に対して、不遜な対応やら、過剰な期待をするならば、「出すもの出してから言え」と言いたい。
 せめてどんなにマイナーな競技の選手であろうとも、世界に通用するレベルの選手であれば、日々生活するためのスポンサーを独自で探さなくても、練習に集中できるぐらいの金銭的なサポートがあってもいいではないかとも思う。

 私のような国民に選ばれて仕事をさせていただいている公務員が、国民にもの申すのは、不遜きわまりないが、このままではあまりにも選手たちがかわいそうでならない。清水宏保氏ではないが、非難承知で私もあえて言ってみた。


 さて、政治の話題である。政治と金の問題が国会を騒がしている。不正な政治資金に対して、マスコミは連日、政治家を批判している。民主党における一連の政治資金に関する報道は、検察+マスコミの共謀による露骨な新政権潰しだと私は考えているが、ここでは多くを語らない。
 今後、企業・団体献金は、全面廃止する方向で話が進むだろうが、私はこれで良いと思う。ただし、国民の多くは知らないだろうが、政治には金がかかるのもまた事実である。国からの支援は少ない。個人献金も少ない。徹底した公務員批判は正しいのだが、議員もまた公務員である。議員の待遇をもっともっと低くして、極端な話、無給で働けぐらいのことを言う国民もいる。
 国民の決定ならば、それもいいだろう。議員は無給で働く仕事にしよう。それであなたは議員を仕事として行いますか。そういうことだ。それと同時に、それでも議員に金メダル級の仕事は期待しますか、でも、できませんよ。そういうことだ。出すもの出さずに、結果だけ求めようとすることは、どんな分野にあってもできるはずがない。

 企業・団体献金の廃止。OK
 議員定数削減。OK。
 しかし、私は以下のようにも発言している。
 議員定数半減かつ議員歳費倍増。
 国会議員の公設秘書は最低10名。
 地方議員にも公設秘書を認めるべき。
 贅沢ではない海外視察の復活。
 これら主張は、全て国民からは不評であることを十分承知している。この主張が、政敵から、ネガティブキャンペーンで使われる材料になりうることも十分に承知している。
 それでも、この日本の政治が少しでも良くなるためには、どんなことにお金を使えば良いのか、13年間の議員経験者としては発言すべきだと思った。
 今の日本の政治が良いなんて思っている人は、多分、日本国民ならば、誰一人としていないだろう。それならば、日本の政治にもっと多くのお金を使って、日本の政治を良くしていこうなどと考えている人も、同時に一人もいないだろう。はたして、これで日本の政治は良くなるのなるのですか。


 この日本において「やらずぶったくり」は何もスポーツ分野だけの話ではない。

(注:「やらずぶったくり」とは、人に与えず、ただ奪うだけであること。正当な取引ではない一方的な略奪。)


2010年03月02日