田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

民主党の体質は、中国共産党や北朝鮮と全く同じ

犯罪より反党行為に厳しく=鳩山首相 時事ドットコムより


 鳩山由紀夫首相は3日午後の参院予算委員会で、民主党の運営をめぐり、犯罪よりも反党行為により重い処分を下すのは当然との認識を示した。改革クラブの大江康弘氏の質問に答えた。
 大江氏は、2008年に反党行為で自らが民主党から除籍処分となったことに触れた上で、政治資金規正法違反罪で逮捕・起訴された民主党の石川知裕衆院議員が同党から「何も問われていない」と首相にただした。これに対し、首相は「党にとっては反党行為が一番厳しく罰せられなくてはならない」と答弁した。 (2010/03/03-19:23)
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 もし誰か知っているのならば教えて欲しいのだが、民主党は結党以来、除籍処分とした者は、はたして何百人いるのだろうか。是非、鳩山首相に聞いてみたいものだ。何を隠そう私自身も民主党から除籍処分を受けた一人である。幸い地元有権者の支持もあり、現在は無所属議員の一人として活動しているが、一般的に言って、除籍処分を受けると言うことは、本人の経歴に傷が付くと思って間違い無い。
 除籍とは、党の処分における最高刑である。国家に例えれば、死刑に相当する処分である。そのような処分を民主党は既に何百人もの人間に下している。

 私の場合は、複数定員の選挙区で、既に民主党の公認候補がいるのに、そこへ立候補しようとしたことが反党行為として認識され除籍に至った。現在、みんなの党の浅尾慶一郎氏が、先の衆院選挙に出馬するにあたって、民主党の離党が認められず、除籍になった事件によく似ている。


 私に限った話で言えば、高速道路の無料化に代表されるように、政策的には民主党に近い。
 しかし、一人の人間である以上、どんなに近い政策があっても、別の政策では差異が出てくる。議員個人の思いと、政党の政策の差異を一つ一つを検証して、合致しなければ反党行為と認識されてしまうようであれば、民主党議員に、個人のカラーを出すことは到底出来ない。マニフェスト選挙がそうであるように、まるで政党の意のままに動くロボットのような行動を議員一人一人に求めている政党が、民主党なのかと言いたい。


 よく「政治は政策だ」とか「政策中心の選挙」などという人がいる。一理あることは認めるが、政治は政策だけで語れるものではない。誰がその政策を語っているのか。またはどんな体質の政治団体がその政策を語っているのか。そのことを抜きにして、単純に政策に共鳴したからと言って、人は動くものではない。
 残念なことに、民主党がどんなに良い政策を持ち、大いに主張していたとしても「それはそのとおりだ」までの評価で終わってしまう。政策に賛同はできても、党その物に対しては賛同できず、大いなる疑念を持って国民は民主党と接した方がいい。ここで一句。
 
 民主党 辞めたくなったら 要除籍


 そう。かつてのソ連共産党のように、簡単に辞めさせてくれないのが今の民主党である。そもそも反党行為とは何なのか。反党行為とは、党内の権力闘争にあって、勝者が敗者に対してレッテル張りをする行為に他ならない。つまり、党内の権力を握った多数派が少数派を粛正(権力の場で、反対勢力や将来自分を脅かす存在になりそうな人物・勢力を排除する行為)するときに使う手段が、昔は暴力であり、今は除籍なのだ。
 ソ連共産党の時代で言えば、党内の反対勢力を一掃するために、スターリンが、トロツキーを暗殺したことによく似ている。つまり、反党行為というレッテルが、民主党内にあっては、いとも簡単に粛正を正当化する大義名分となることに注目しなければならない。


 ロシアには、以下のようなジョークがある。
 もし君が、一人の共産党員の勧誘に成功したならば、党費を免除してあげよう。
 もし君が、二人の共産党員の勧誘に成功したならば、離党を認めてあげよう。
 もし君が、三人の共産党員の勧誘に成功したならば、これまで君が、ソ連共産党とは何ら関係が無かったという証明書を書いてあげよう。


 今の民主党は、このくらい簡単には辞めさせてくれない体質をもった政党だ。だから政策中心主義で政党を選んでしまうことが、このように恐ろしい結果を招くことにもなりかねない。さすがに今は暗殺のような暴力を伴っての粛清は行わないであろうが、組織を離れる者に対して「除籍」という重い十字架を背負わして、放り出す。これが日本における第1党がやる行為なのだろうか。
 暴走族や暴力団から足を洗うときに、「ただでは辞められない」と、それ相当の代償が必要だった処分と何が違うというのだろうか。民主党に所属する者は、この除籍処分を恐れて自由な動きができない。これが民主党内における閉塞感を生み出している。


 今の自民党は消えて無くなればいいと思っているので、私は自民党を擁護する立場にはない。しかし、それでもかつての自民党は、党員に対して、こんな酷い仕打ちはしてこなかった。
 派閥政治との批判を受けはしたが、中選挙区時代は、同じ選挙区で同じ自民党の公認候補が争っていた時代もあった。仮に公認を得られないとしても、無所属で戦い、その結果、当選できれば、その後で自民党の追加公認を受けた議員もいた。表面上、公認候補に敵対するからと言って、元々自民党員だった候補者を、選挙にあたって除籍などはしてこなかった。
 実際、新自由クラブにしろ、自由党にしろ、新党さきがけにしろ、新進党にしろ、一度自民党を離党した者であっても、政治状況の変化によっては、また自民党に戻って政治活動を続けている議員は何人もいる。来る者拒まず、去る者追わず。そんな出入り自由とでもいうような、大らかさが自民党の歴史にはある。
 では民主党はどうだろうか。民主党を一度離れて、もう一度民主党に戻ってきた議員などいない。なぜならば、民主党を離れるときには「除籍」という死に等しいレッテルをあえて離党者に貼り付け、組織を放り出すからだ。果たしそのような仕打ちを受けた人間が、時代が変わったからと言って、民主党と一緒に政治を行おうと思うだろうか。否、決して思うことはないだろう。
 そう、民主党に集う者達は、目先の「政権交代」の大義名分に目がくらみ、中長期的に続くであろう人と人とのつながりという当たり前の行為を眼中に入れていない。例えどんなに敵対していたとしても、時代が変われば、一緒に政治をするなどと言うことは、政界では珍しい話では無い。そこまでの思慮がない。

 今の連立与党を見よ。田中真紀子と鈴木宗男と辻元清美が同じ連立与党の中にあって、一緒に活動しているではないか。こんなことは10年前の政治状況ではとても考えられなかった現象だ。

 このように、昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵。こんな現象は、日常茶飯事敵に発生するのだ。しかし、民主党という思慮浅い政党は、長期的な戦略に基づいた行動をしないから、離れていく議員に対して、傷を付けて放り出すのだ。

 かつての自民党は、今の民主党にはない大らかさがあった。そんな政党だからこそ、どんなにボロボロな政策や首相を輩出したとしても、自民党は戦後50年以上も政権政党であり続けることができたのであろうと推察する。
 その大らかさが無くなったのが、小泉政権下における「小泉劇場」と称された2005年の政治手法からであろう。ただしこれは、小泉氏が、小選挙区制という選挙制度の特性を遺憾なく利用して戦った選挙であったことを忘れてはならない。もし当時の選挙制度が中選挙区制ならば、これほどまでに政党の縛りは厳しくなく、刺客と呼ばれる対立候補を立てたところで、それでも当選できた自民党系候補者はたくさん出てきただろう。それが当選者一人という小選挙区制になって、より選挙がシビアになり、多くの自民党系候補者が落選した。または当選できても、党を離れざるを得なかった。


 今現在、民主党が所属議員をロボットのように扱い、意に反することがあると反党行為と見なし、除籍によって議員の経歴に傷を付けることが出来る元泉は、この小選挙区制という選挙制度の公認権に根ざしている。自民党にあっても、この小選挙区制で勝とうと思えば、小泉氏が行ったほどの厳しい締め付けをしてくるのは当然の結果であろう。


 政党と言えども、そこには人と人が集う場があるのだ。そこにギスギスした人間関係を持ち込み、党内部の権力争いに除籍を手段として使っている民主党の体質を見るにつけ、そう長くは、このままの形で政権が続くはずがないと思うのは、私だけだろうか。


 人は立派な主張をする人に親近感を持つのではない。人は大らかで何でも受け入れてくれるような温かみを持った人に親近感を持つのである。人も政党も同じだ。政権交代の大義名分を失ったこれからの民主党に集まってくるのは、かつての自民党に集まってくる「権力の利を求める者」たちであることは違いない。
 しかし、そこには新しい志も、未来への展望も感じられないのである。


 日本は民主党の努力によって、確かに政権交代できる国であることを内外に証明した。しかし、その一方で、政治体質として考えれば、政党独裁の様相をより強くし、一世代前に逆戻りしてしまったのだ。


2010年03月06日