目的もなくお金だけを集めようとすることの怖さ
これは国民新党による“成果”だと、皮肉を込めて呼ばせてもらう。
郵政民営化は凍結され、これからは巨大“ゆうちょ”が復活する。具体的には、預入限度額1000万円を3000万円に引き上げ、3年後には限度額を撤廃することも検討されているという。
確かに“ゆうちょ”は実質的に国が運営する銀行だ。どんなに不況だと言っても、今でもこの日本でお金を持っている人はたくさんいる。株式による直接投資を望まず、利率は低くてもいいから、安定してお金を増やせる預金を望む人は、安定志向の日本人には多い。間違い無く巨大なお金が“ゆうちょ”に集まることになる。
では集めたお金を何に使うのか。
地域再生のため地場産業に融資するという案がある。そんなことをしたら、第2の新銀行東京になってしまうと懸念する声がある。
外資も含めた金融のプロや、闇社会の勢力に、美味しい部分をしゃぶり尽くされるだけしゃぶり尽くされて、捨てられるに違いない。
または産油国のオイルマネーのように国が管理する膨大な資金を外国証券や資源開発など国家戦略に沿って運用するという構想もある。簡保もあわせて280兆円という郵政資金なのだ。これを自在に動かすだけでも絶大マネー権力は生まれる。しかし、一歩間違えば大やけどもしてしまう。はたしてこんなことは、本当に国が行うべきことなのだろうか。
例えどんなに利率が低かろうとも、国民からかき集めたお金は、いつかは国民に返さなければならない。これまで、郵政事業は空き集めたお金を使って、景気対策だと称して「無駄な公共事業」を延々とやってきた。民主党が現在やろうとしている子ども手当てのような事業がばらまきだとの批判もあるが、同じばらまきであっても、自民党が延々と続けてきたばらまきに比べれば、まだまだ可愛いものだ。国と地方をあわせて1000兆円もの借金を作ってしまって、自民党はこれからどうやってこの借金を減らしいこうと考えているのか。本当に、取り返しが付かない余計なことをやってくれた罪深き政権だった。
壮大なばらまきである「無駄な公共事業」によって作られたのが、全国に散在する、使われない高速道路、使われない空港などなどだ。高速道路はまだいい。維持補修には最低限コストがかかるが、無料開放さえすれば、勝手に車は走ってくれる。つまり、現場に人間が張り付かなくても運営できる公共財である。
でも空港はどうだ。巨大な市民施設はどうだというのだ。無料開放しても、そこには常に人がいなければ、運営などできないではないか。使いたい人が勝手に使ってくれと言うわけにはいかない施設を作ってしまった場合、それをどうしろと言うのだろうか。
今でも「無駄な公共事業」による多くの負の遺産が、日本にはあるというのに、これ以上お金を集めて、新たに何かをやろうというのだろうか。政府には、明確な国家経済の成長戦略があるのだろうか。もっと言えば、国家が「経済を成長させなければいけない」という呪縛から、一度切り離して物事を考えてみたらどうだろうか。
地元の雇用対策だと称して、地方にお金を使うことだけは止めて欲しい。一時的な雇用を生み出すだけで、ほぼ全てが将来的に地域経済を活性化させるようなことは出来なかったからだ。
今の日本には、本来ならば好き勝手に運用できるようなお金は無いはずだ。違うのだろうか。
事業仕分けではないが、本当に、国という単位でしかできないことが何なのかを吟味する。それ以外は国がやってはいけない。今は何かするのではなく、「やらない」ことが肝要なのだ。国がやらないことは、地方がやったり、民間企業がやったり、NPOがやったり、または本当に誰もやらなかったりしていいのだ。とにかく、今は国の仕事を、国以外の誰か別な主体に任せることが必要だ。地方分権も進めながら、出来る限り国家の規模を小さくして、何年かかるかわからないが、地道に借金を返していくことが、賢明で安定志向が強い日本人が選択する道ではないのだろうか。
今正に多くのお金を集めて復活しようとしている巨大“ゆうちょ”に対して、私はとても悲観的だ。更に国の借金が増えるのだろう。お先真っ暗だ。
2010年03月16日