田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

自分を龍馬に例えることの恥ずかしさ

“なりきりヒーロー”邦夫龍馬は四面楚歌記
 幕末の志士坂本龍馬になりきって、15日に自民党離党と新党結成への意欲を表明した鳩山邦夫衆院議員(61)が16日、四面楚歌(そか)に陥った。龍馬ファンの前原誠司国土交通相(47)は「極めて不快」とバッサリ。自民党の小泉進次郎衆院議員(28)も「私は、自分を歴史の偉人に例えることはできない」と話した。邦夫氏が連携相手と期待する舛添要一参院議員(61)と与謝野馨元財務相(71)も、新党参加に明確な態度を示さなかった。


 「2人を鳩山という龍馬が結びつける接着剤の役目ができれば本望」。邦夫氏は離党届を出した15日、新党のキーマンとみる舛添、与謝野両氏との連携を薩長連合に見立ててすっかり坂本龍馬気分だった。ところが一夜明け、与野党から強い反発が起きた。


 前原氏は、閣議後の会見で「私は坂本龍馬が大好きなので、極めて不快感を持っている」と猛反発。「自民党の古い、考えの違う方々を薩長同盟になぞらえて一緒にすると言われても、『は?』という感じ」とかみついた。龍馬の故郷高知と同じ四国(徳島1区)が地元の仙谷由人国家戦略担当相は「10年遅かった」。枝野幸男行政刷新担当相に至っては「興味も関心もない。昨日のニュースの視聴率は低かったと想像している」と切り捨てた。


 自民若手からも“苦言”が。父の純一郎元首相が、かつて織田信長に例えられた進次郎氏は「邦夫氏と坂本龍馬がダブる点」を報道陣に問われ「私は自らを歴史の偉人に例えることはできない。誰に例えられるかはご本人の自由。コメントすることはありません」とチクリ。「新党をつくるのも自民党で頑張るのも自由。私は誰から言われても、自民党で頑張る。何人離党しても自民党は消滅しない」と一線を画した。
 [2010年3月17日8時30分 紙面から] 日刊スポーツ.com より
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 これからも、自分を龍馬に例え、新しく政治を志す人がたくさん出てくるだろう。
 しかし、龍馬に例えるのは、自分ではない。周囲の人から「あの人は龍馬のような人だ」と言われて、初めて例えられるのであって、自分から例えるような対象ではない。つまり、全ては結果論として、何か行動を起こした人物に対する称号である。その他人が名付ける行動の一つが“龍馬”なのだ。自分では、とても格好いい行動をしているように主張しているが、偉人になぞることだけでも、私からすれば相当“かっこわるい”のであって、何も大声で言うような話では無い。
 小泉進次郎氏が「誰に例えられるかはご本人の自由。コメントすることはありません」このように発言したと伝えられるが、その通りだろう。


 こんな偉そうなことを私は言っているが、尊敬する人物と自分自身を重ね合わせて、そのような生き方をしてみたいと思うのは、誰にとっても、そう珍しいことではない。
 私自身も、支那の歴史的人物である陳勝を何度自分に重ねてみたことか。
 ちなみに陳勝とは、始皇帝で有名な秦に対して、最初に反乱を試みて、最後には鎮圧されて殺されてしまう武将である。史上初の農民反乱とも言われる。そんな陳勝であっても、反乱の過程では、民衆が誰もその顔を、その死を知らないことを利用して、自分が始皇帝の長子にして悲劇の皇太子である扶蘇であると偽って、民衆の支持を集めていた。陳勝のこんな俗人っぽいところも微笑ましい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/陳勝・呉広の乱
(ウィキペディアを参考)


「自分を歴史上の人物に例えるな」
 こんな事は言わない。偉人に例えることによって、鼓舞できる自らの魂がそこにはある。これには一種の精神的ドーピングのような高揚感が期待できる。ただし、そこには“カッコ悪さ”からくる一抹の“恥ずかしさ”をも感じた方がいい。自分が例えるのではなく、後から例えられるような存在になった方が良い。そう、自分が決めるのではなく、他人が決めることを自分が決めていることに違和感を持った方が良い。


 自分はこんなに凄い人物なのだ。そうフレームアップして主張するのは、まるで「親に認められない子どもが必至になる行動」であり、微笑ましく、かつちょっぴり恥ずかしいと私は思う。
 「俺が俺が」と言う政治家は、業界に多いし、そうでなければ政治家は務まらないというのも事実だが、時には慎みを持つ言動も必要ではあるだろう。


 最近の政界に流行る“龍馬ブーム”に対してコメントしてみた。


2010年03月22日