資本主義社会とは、こういうもの
伊勢湾フェリー、鳥羽~伊良湖航路を廃止へ
伊勢湾フェリー(三重県鳥羽市)は24日、鳥羽港と伊良湖港(愛知県田原市)を結ぶフェリー航路(23・2キロ)を9月末で廃止すると国土交通省中部運輸局に届け出た。
同社は10月以降、清算手続きに入る。今月末時点での累積債務は21億9000万円と見込まれる。
同航路は1964年11月に運航が始まり、現在は1日8往復以上している。最盛期の94年度に旅客約116万人、車両約24万台を運んだが、伊勢湾岸自動車道の延伸や「1000円高速」の影響で利用が減り、昨年度は旅客約45万人、車両約12万台に落ち込んだ。
(2010年3月24日20時14分 読売新聞)
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大学生の頃、日経新聞が出した本に、こんな寓話が載っていた。
時は江戸時代から明治時代。これまで人の移動には、駕籠(かご)が使われていた。そこに自動車が輸入されてきた。これでは駕籠の商売あがったりである。よって駕籠は、業態全体で、自動車の輸入に反対した。そのため、現代にあっても日本では、駕籠を利用することが一般的であり、自動車は普及していないのである。
簡単に略して伝えるとこの様な内容だった。つまり市場に歓迎されない業界団体が、変な政治力を使って、時の政府に圧力をかけると“利用者”の選択権を阻害し、社会の発展は望めないという一例である。
これまでフェリー業界は、高速道路の無料化や「1000円高速」に対して、業界全体で反対をしてきた。その姿は、明治時代の駕籠業界と何ら変わらない。市場の意向を無視して、自分たちの業界団体だけが、いかにして生き延びるかだけを考えて発言してきた。政治的な圧力もかけてきた。そこには、自分たちの業界が、どのような意味で、社会的な有用性を持ち、必要なのかということとは別に、業界の存続を第一に、政治活動をしてきたのである。
基本的なコトなので、あらためて言うまでもないが、重要なことなので何度も確認したい。
資本主義社会における市場機能とは、消費者に歓迎された者は大きく羽ばたき、消費者からそっぽを向かれた者は静かに退場をするのがルールである。つまり、主人公は、消費者、利用者であって、業界団体ではない。簡単な言葉一言で言い表せば、
「お客様は、神様です」
これに尽きる。業界団体があって、お客様があるのではなく、お客様があって、業界団体があるのだ。ここを本末転倒に考えてはいけない。
長らく交通業界に関しては、その公共的使命から、競争原理が働きにくかった。陸運、空運、海運のように、他業種であっても、旅客業という意味では同じ土俵に乗る業界までも含めて、“闇カルテル”のような非競争市場を作り出し、高値の運賃を維持してきた。
そこに高速道路の無料化の主張が展開された。業界の“闇カルテル”とは無縁に出てきたこの衝撃に、業界はそろって反対の意を表明した。フェリー業界だけでなく、JRもまた、高速道路の無料化には反対している大企業である。JRこそ、同業者にライバルはなく、唯一無二の存在で、長らくぬるま湯の無競争を生き抜いてきた企業だ。
しかし、これからは公益企業だからと言っても、市場原理から逸脱して下駄を履かされることは許されない。これからは、無料化する高速道路と、いかにして戦い、それでもなお消費者から支持され、利用されるかという道を模索していかなければならない。そこに政治的な圧力をかけ、高速道路の無料化を阻もうとすれば、それはJRが現代の駕籠業界であることに証明に他ならない。
私が高校時代、オートバイで、伊勢に行くとき、利用させてもらったのが伊勢湾フェリーだった。私の青春時代の思いでの一ページにあったフェリーが消えてしまうことに一抹の寂しさを感じないわけでもない。しかし、それでも私は、市場が歓迎しない業界団体に対して、何か特別な対応をして、その業界団体を、市場に存続させていこうとは思わない。
厳しい対応だと批判されるかも知れないが、それが巡り巡って、消費者や利用者の利益を追求することにつながるのだと私は信じている。
たとえ企業団体には厳しくとも、それによって職を失った労働者である個人に対しては、優しい社会を作ることが私の理想である。
福祉は個人に対して行うべきであって、企業に対しての行う福祉は社会悪である。
2010年03月27日