田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

警察は、交通取り締まりのあり方を根本から見直せ

パトカーが追跡中に事故、警官ら2人死亡
< 2010年3月28日 4:31 > 日テレNEWS24より


 27日夜、新潟・上越市でパトカーと軽自動車など計3台が絡む事故があり、警察官ら2人が死亡した。パトカーは軽自動車を追跡中だった。
 新潟県警によると、27日午後7時40分ごろ、上越市の国道でパトカーに追跡されていた軽自動車が対向車線を走ってきた10トントラックとぶつかり、その直後、パトカーもトラックと衝突した。この事故で、新潟県警上越署の五十嵐久男巡査部長(53)と軽自動車を運転していた男性が死亡した。トラックの運転手は軽傷。
 軽自動車は家出人捜索願が出されていた人の車で、パトカーは赤色灯をつけて追跡していた。
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 警察官を含む二人が死亡した事件があった。
 この様な報道がされた場合、通常ならば、死者に対して同情するコメントが、ネット上には多く寄せられる。
 それなのに、世論の声なき声は、以下のようにつぶやいている。
>税金で食っている人間が人殺し
>ざぁまぁみろ
>死ね税金泥棒死ね
>別に死んでいい
>警察は死ぬ程嫌い
 この様に言われているのだ。


 最近になってから、神奈川県警の裏金事件が明るみに出て、松沢神奈川県知事が陳謝する報道があった。同種の事件は既に北海道でも報道され、このような裏金作りは、全国的に見て、警察による組織犯罪である可能性が高い。
 しかし、この様な犯罪によって、逮捕された警察官というのは、聞いたことがない。


 法律というのは、地位ある者に対しては厳格に適用し、地位が低い者には、緩やかに適用することがよしとされる。
 しかし、今の日本では、地位ある者に対しては緩やかに、地位無い物には厳格に、その罰が適用されている。その尖兵として活躍しているのが警察組織である。


 マキャベリは、君主たる者、民衆から愛されるべきであり、恐れられるべきだと説いた。ただし、両方は難しいのならば、恐れられるべき存在となれと説いた。警察は君主ではないが、恐れられてはいても、愛される努力はしていないのではないだろうか。


 通常、警察と一般市民が接触する機会というと、交通取り締まりがある。不必要な取り締まりを強化して、ドライバーやライダーから、金品をかすめ取る行為は、とても取り締まりを受ける側が納得している行為とは言えない。反則金や罰金のように、相手に罪悪感を植え付け、それで金品をかすめ取るのだから、その対象となった国民からすれば、恨み骨髄だろう。
 日本国憲法第29条 財産権は、これを侵してはならない。
 この憲法を、真っ先に破っているのが、警察による交通取り締まりだ。だからこそ、交通取り締まりの存在が、一番、警察の評判を貶めている行為の最たるものなのだ。違反者を取り締まることを大義名分にして、集金を真の目的としている現状にあっては、非効率的である。
 警察官を、税金で雇って、集金人とする。警察の評判を落とす。ここに何かメリットがあるのだろうか。多くのドライバーを潜在的な犯罪者扱いする警察は、とても「市民の警察」とは言えない。国家の犬と言われてしまうのは、そのためだ。
 この現状は、国民にとっても、警察にとっても、幸福な状態ではない。
 行政運営で必要なお金は、姑息な手段で集めるのではなく、税金によって集めればよい。お金を集めるために公務員を働かす行為が、どれだけ愚かしいか、もう一度考えた方がいい。


 警察に対する批判が少ないのは、警察が国家公認の暴力装置であり、皆、怖いから発言しないだけであって、根本的に信用されているなどという状態からはほど遠い。何も言われないから問題ないと考えるのは、裸の王様と同じ事であって、警察は組織全体の課題として、市民からどうやって愛されるべきかをもっと真剣に、制度として考えなければいけない。
 職務を全うして、その結果、死んでしまった警察官に対して、「ざぁまぁみろ」と言われてしまう実態を、もっと深刻に受け止めた方がいい。
 まじめに働いている警察官にとっても、この様な状態では、市民のために働こうなどとは、決して思わないだろう。根本的な制度改正を望む。


2010年03月29日