食糧自給率の向上を主張する目的とは。
食糧自給率の向上を至上命題として取り組んだ場合、どのようなことが必要なのか考えてみた。
① これ以上、日本の人口は増やさない。
② 肉食はやめる。
③ 食料の輸入は禁止する。
他にも色々な条件はあるだろうが、もしこの①~③までを実際に実行したら、どれだけ日本が暗黒社会になるか、想像するまでもない。
つまり、今の多くの日本人が、漠然と食糧自給率は高い方がいいと思っているのは、現在の豊かさを捨ててまで実現しようとしている命題ではなく、あくまでも現在の豊かさを保ちつつ、それでかつ食糧自給率を高めよと言う主張だと理解する。
逆から考えると、日本の繁栄や日本人の生活向上は、食糧自給率の低下と共に実現してきた。つまり、食糧自給率100%を捨てたからこそ、現在の日本があると言って良い。
今の日本の繁栄を維持したまま、食糧自給率だけを100%に近づけようなどと言うこと土台無理な話である。
食料の消費者である都市住民にとって見れば、食糧自給率よりも、食料の安定供給や安全供給の方がはるかに大きな関心事なのだ。
それなのになぜ、これほどまでに食糧自給率を問題とするかと言えば、食糧自給率が低いことを強調すれば強調するほど、農業に対する補助金をばらまき易くできるからである。これは納税者に対する、農水省による罠だというのが私の見解だ。
今や食糧安保論などは成立しない。2009/11/18の日刊田中けんにも書いたが、食糧安保の概念を持ちだし、ある国が特定の国に対して禁輸政策を行うと、相手の国にダメージを与えるつもりが、逆に自国の輸出産業である農業に大きなダメージを負わせてしまうことが実例としてある。1979年アメリカは、ソ連のアフガン侵攻に抗議して、ソ連に対する小麦の禁輸を行った。その結果、アメリカの農業はダメージを受けることになった。それだけでなく、ソ連がアメリカ以外の国から小麦を輸入したため、禁輸が第三国の農業を結果的に育ててしまい、中長期的には自国の農業に対するライバル国を増やすことになってしまった。
この様に考えると、これからの日本の農業は、一部の例外を除き(棚田のような美的景観が優れた農地)、大規模集約型の農業にこそ、集中的に補助金などの助成をして、零細農家には徐々に撤退してもらう(高齢従事者が、天命を全うする間ぐらい)方向が良いのではないだろうか。
日本の農業は、大規模集約型に移行させて、それなりの国際競争力を持ち、かつブランド農作物を積極的に作付けして、輸出が難しいまでも、国内市場で高値取引されるような商品作りをするべきであろう。
食糧自給率という考え方は、一度、保留にして、これからは、消費者中心の、安定供給に目を向けた対応が一義的問題として考えるべき時ではないだろうか。
参考文献:日本の食料戦略と商社
2010年04月06日