日本人は国境にこそ目を向けよ
2010年4月14日 日経産業新聞より
NTT東 利尻・礼文島に光回線 来春、海底ケーブル敷設
【札幌】NTT東日本はこのほど北海道の利尻島、礼文島で光ファイバーを使ったブロードバンド(高速大容量)サービスを来年4月に始めると発表した。NTT東が稚内市と礼文島などを結ぶ海底ケーブルを敷設。礼文町、利尻町、利尻富士町の3町が島内の光ファイバー網を整備してサービスを提供する。
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小日本(シャオリーベン)とは、日本および日本人に対して、主に中国人がさげすんで使う呼び名である。
倭奴(ウェノム)とは、日本および日本人に対して、韓国・朝鮮人がさげすんで使う呼び名である。
どちらも言葉に「小さい」という意味を含んでいる。
差別用語を使って、相手を侮辱するというのは、人間性を疑う行為ではあるが、人の感情を他人が左右することはできない。これまで数多くの日本人達も、中国人や韓国・朝鮮人に対して、さげすんだ呼び名を使ってきただろうことは間違い無い。お互い様と言えば、お互い様だろう。
相手が持つ差別的な感情に抗議はしても、それを心底悔い改めさせることはできないかもしれないが、それに伴って、すり込まれた事実誤認に対しては、しっかりと反論しておかなければならない。
日本は決して小国ではない。
国の面積だけで言えば、世界61位ではあるが、排他的経済水域と領海を合わせた面積では、世界6位であり、それに領土を合わせると世界9位の大国である。確かに世界7位の中国から見ればそれでも日本は小国には違いないが、領土だけで比べた場合とでは、全然状況が違ってくる。
つまり日本が小国でない証拠は、日本が実効支配する海域が膨大にあるからであって、その恩恵は、世界のどこの国よりも多く受けている事実を我々日本人は、肝に銘じておかなければならない。そう考えると、日本の国境線とも言うべき、排他的経済水域の外周における長さは、相当長いと思われる。
それに対して、日本の意識はとても希薄に感じられる。そもそも国境という概念が、日本には乏しい。海を渡って行くのが外国だという認識はあっても、ここまでは日本、ここから先は外国というしっかりとした範囲を確定する意識が、厳密な国境意識を持たない国であったが故に希薄だったのだ。
しかし、これからも、それでいいとは思えない。国境に一番近くにある離島に思いをはせ、そこの住民たちのことを少しでも想像すれば、中央から著しく劣ってしまうインフラ整備などは、むしろ手厚くそれを保障することが、日本が一体であることの演出につながるのである。
私は何度か対馬に旅行してみて、対馬が日本人にとっては、忘れ去られたような島であった事実を目の当たりにした。それはあまりにも日本人観光客の少なさから実感した。それに比べ、韓国からの観光客はたくさん来ていた。はたしてこの土地は、どの国の領土なのかと不思議に思ってしまうほどだった。
観光客を、無理矢理、国境の島に連れてくることは無理だろう。
しかし、観光客がその土地へ行きやすいように、船にしろ、飛行機にしろ、経済的な援助を行うことで、誘導することはできる。そうなれば、島民にとっても、気軽に島外に出られるようにもなる。単純に離島だから、距離が遠いから、それに伴って、旅費が高くなるので、それを旅行者が全額負担すべきと言う考え方では、これだけ広い面積を有する日本という国の一体感は、とても演出することができない。私はそこに危機感を感じている。
私がこれまで、どんなに赤字空港の廃港を主張してきても、離島は除くとしたのは、単に離島が陸路という移動手段を持っていないからだけではない。離島の中には国境に近い島もあるのだから、そのような島に対しては、常に「そこも日本なんだ」という意識を持ってもらうためにも、その島で日本人が安定して暮らせる状況を作っていかなければならない。そう考えたからである。
土地があって、日本人がいて、安定した生活が営まれている。
この様な島があってこそ、他国からの干渉を防ぐことができるのだ。残念ながら竹島は日本人が定住していなかった。そのため韓国の実効支配を許してしまった。今後の日本は少子化に伴い、特に日本の周辺部分において、人口減少が著しく目立って表れてくることも予想される。
しかし、例えどんなに人が少なくなったとしても、ある意味日本が他国と接する最前線の土地で生活を営んでおられる日本人に対して、それなりの経済援助を、国が責任を持って対応するのは当然のことではなかろうか。もしそのような責任ある対応がなされなければ、第2の竹島、第3の竹島のように、ドンドンと日本の領土が他国によって実効支配されることを許すことにもなりかねない。
今回は、利尻・礼文島に光回線の海底ケーブルが敷設されるとの報道があった。私もこれまで何度も利尻・礼文を訪れている。その度ごとに、利尻・礼文のインターネット環境が恵まれていないということも島民から聞かされていた。この様な感情は、私が、利尻・礼文に何度も行っているからこそ思う感情であって、単にそこが日本の領土であったとしても、一度もその土地を踏んでいない日本人とは、比べものにならない感情である。そう日本人ならば、是非、日本の領土である様々な離島には、せめて人生の中で、一度は訪れて欲しいものだ。そうすれば、改めて、日本がどれだけ広くて大きな国なのか、わかってもらえるはずだ。それだけでなく、その島の周辺には、行くこともできないけど、果てしない海が広がっている。その海こそが、我々日本人の豊かな生活を保障してくれる「母なる海」なのだ。その海には直接行けなくても、海の近くの島へ行くことによって、また違った日本人としての感情を持つことが、きっとできることだろう。
私は根っからの旅好きだ。議会がないときは、できる限り旅をしている。自慢じゃないが、これほどまで地元を離れて政治活動をしていて当選できる政治家はいないのではないかと思うほど、地元を離れている。
しかし、単に地元を離れているだけではない。私が日本を強く意識したのは、21歳になって初めての海外としてオーストラリアに訪れたときであった。そこで10ヶ月生活して、離れてこそ強く思う祖国日本が私の心の中にあった。今でも、江戸川区を離れ、東京を離れ、日本を離れれば離れるほど、離れていった土地のことを思い出しながら、その思いを自分の政治活動に生かしていると自負している。
3年半前には、4ヶ月の留置場生活を経験している。これとて確かに精神的には厳しい毎日ではあった。それでも、今となってみれば、議員生活の中で、普通ならば決して体験できない4ヶ月間の長期旅行をしたのだと思うことにしている。そう考えればこそ、まだ少しは自分自身を納得させることができるというものだ。
政治は、本を読んでいるだけで知識を得て、何かがわかるというものではない。やはり現地に行って、実際に行動して、色々な事を目で見て、誰かと話をして、そこで初めて理解できる実学でもある。
議員の海外視察が、世論的には大変評判が悪く、今は中止されてしまった。とても残念なことだ。確かに大名旅行と言われるほど、お金をたくさん使う視察は、批判されて当然であるが、改めるべき点は柔軟に改めても海外視察そのものはやめる必要がなかった。
それでもまだ、委員会視察との名目で、国内の視察は年に1回実行されている。それならば、是非、地方議員であっても、日本の領土を確認する意味でも、私は離島にこそ視察して欲しいと思う。行政視察にはならないかもしれないが、日本が他国と向きあっている最前線の土地で、同胞の日本人達がどんな暮らしをしているのか、離島ならではの苦労など、話を聞いて、それを中央に提言できるのは、その場所に住んでいる人たちと、その土地を訪れた経験がある人だからこそできるはずなのだ。
これまでの委員会視察は、地方中核都市ばかりを好んで視察先としていた。これからは、むしろ自然あふれる離島にこそ、行ってみても良いのではないか。そのような経験があって、初めて知る日本の実態に触れながら、改めて日本を思い、東京を思い、江戸川区を思うことができるのだと、私は確信している。
私がこれまで行ってきた数多くの政策・提言は、自分の旅行の経験なくして、ありえない主張なのである。
2010年04月14日