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日刊田中けん

アニメ「刀語(カタナガタリ)」第四話を見て【ネタバレ要注意】

隆慶一郎『鬼麿斬人剣』新潮社
 源清麿(みなもときよまろ)という幕末に実在した刀鍛冶がいた。1854年11月14日、42歳で突如として自害。この小説は、その後、清麿の弟子、鬼麿(おにまろ)が、その昔、師匠の清麿が貧窮時にやむなく作った数打ちの駄刀を求め探す旅物語である。目的は、名のある師匠にとっては不名誉な駄刀を見つけ、1本1本折っていくことにある。道中、女性との色恋あり、伊賀忍者との戦闘ありの娯楽作品となっている。


 西尾維新『刀語』講談社
 この作品もまた、主人公たちが刀を求める旅物語である。ただし、こちらは駄刀を求めて折るのではなく、名刀を集めて回る物語である。
 舞台は、中世日本の「尾張時代」。架空のお話ではあるが、戦国時代が終わって間もない、江戸時代初期のイメージ。
 主人公は虚刀流(きょとうりゅう)七代目当主の鑢七花(やすりしちか)。剣士ではあるが、本人には刀を扱う才能は全く無い。そこで先代の親からは、人間としてではなく、自分自身の肉体が1本の刀になるように育てられ、刀を持たない剣士になる。24歳。趣味は「無趣味」。
 鑢七花と一緒に旅をするのが、この物語の発端「刀集め」の提案者である、とがめ。策士ならぬ奇策士を自称している。年齢不詳の女性。趣味は「悪巧み」。
 一話で1本ずつ、これまで3本の名刀を集めてきた七花ととがめは、この第四話にて、名刀「薄刀・針(ハクトウ・ハリ)」を持ち、日本最強と呼ばれる剣士、錆白兵(さびはくへい)と対決する。


白兵「おぬしもまた刀の魔力にとりつかれた迷い人でござるか」
武士「まいるぅぅぅぅ」
白兵「んふっ」


 襲ってきた武士を一刀両断する凄腕の剣士が、錆白兵である。外見は、女人かと思えるような総髪の美青年。空に浮かぶ太陽ですら真っ二つにできると言われ、その名に恥じぬ強力で多彩な剣技を持つ。果たし状を渡すなど、古風な男でもある。
 実は、とがめが最初に「刀集め」の依頼をしたのが錆白兵だった。しかし錆白兵は、最初に手にした「薄刀・針」の魔力に魅入られて、とがめを裏切り去っていった。とがめとは因縁のある人物である。
 この最強と言われる錆白兵と鑢七花の対決が、この第四話となる。予告編では、この対決を期待させるような文言が、黒地に白文字として押し出される。


第四話 薄刀・針
                  最強 vs 無刀
   対戦相手 錆白兵
                             決戦舞台 周防 巌流島


 予告映像では、錆白兵と鑢七花の迫力ある戦闘シーンが、まるでハリウッド映画のようなアクションが、断続的に画面狭しと飛び回る。作品の公式ホームページによって、あとで聞いた話ではあるが、たった30秒の予告編で、1000カットものアニメ画像を使っているとのこと。正味20分強のアニメでの平均カット数が3500カットである。30秒で1000カットという事実は、予告編はどれだけ激しいアクションシーンだったのかが、よくわかるエピソードだ。そう。この予告編を見れば、誰もがこの第四話を見たくなるほどの優れた予告編なのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=nlz0hTkjjVw


 


 


 そして、1ヶ月次回の本編を待ち、それを見てみる。見終わる。
 あれだけ誰もが見たくなるような戦闘シーンは全く無い。本編の第四話は全然別の物語として展開されていた。ただ、第四話の終わり頃、錆白兵との戦いがどれだけ凄まじかったのか、とがめとの会話文によって、回想されるのである。ただし、回想されるだけで、回想シーンなどでの迫力ある映像としての戦闘シーンは全く無い。どれだけ凄まじい戦いだったのか、会話だけでその様子が語られるだけなのだ。ちなみにその時の映像は、二人で楽しそうに会話をしながら食べている団子屋での様子である。


 ネット上における視聴者の反応は真っ二つに分かれた。「なんだこれ。もう二度と見ない」と視聴の打ち切りを宣言した者もいれば、「とてもおもしろい。この回を見て、この物語を最後まで見続けようと思った」と発言する者もいた。
 ただし、面白いと発言した者は、タイトルとは無関係に展開された、鑢七花の姉であり、冷血無比な強さを持つ鑢七実(やすりななみ)と無謀にも姉の誘拐を狙う虫組と呼ばれる三人の忍者による死闘を、虫組目線で展開した物語を面白いと発言したのであろう。予告を全く無視して展開された物語の手法を面白いと言ったわけではないと思う。
 どちらにせよ、「騙し」と言える予告編に、凄まじい決闘シーンを期待したほとんどの視聴者はまんまと騙され、「最強 vs 無刀」の決闘は誰も見ることができず、この回は終わってしまった。



 既に原作を読んでいたであろう冷静な視聴者は、「この回こそが、この物語について行けるか、ついて行けないかの分かれ道になるであろう」と発言していた。全くその通りだ。同じ体験をしながら、視聴者によっては、全く別の道を歩んでしまう分水嶺が、そこにはあった。


 このとき、私はハッと思った。政党が選挙で公約をして、それを選挙後に見事に裏切ってくれたとき、それでも政党を支持する人間と、だからその政党を見限って離れていく人間と、政治の世界も全く同じではないかと。
 いや、むしろ、実社会では、政治に限らず、「騙されること」こそ普通なのだ。我々はそれに対して、騙されても付いていくのか、それとも騙されたから離れていくのか、二者択一の選択を迫られている。それは相手の問題では無く、自分自身の問題として、問題の内容はその場その場で変わりながらも、常に眼前に提出され続けている問題だったのだ。


 民主党は、明らかな公約違反をしている。それでも支持し続けていようとしている人がいる。もう支持できないという人もいる。
 かつて自民党は、何度も明らかな公約違反をし続けてきた。それでも長らく政権政党でいられたのは、「騙されたけど許す」という有権者が多数いたからだったのではないだろうか。「騙されたけど、次は信じる」と言い換えてもいい。それほど、自民党時代の有権者は、「けなげ」だったのだ。
 しかし、この現代にあって、そのようなかつての自民党を支持し続けた「けなげ」な有権者は、民主党にどれだけいるというのだろうか。多くの有権者は離れ続けていくのではなかろうか。


 最初から私は民主党に投票した者ではないので、付くも離れるもないのだが、高速道路の無料化など、少しは期待していた部分的政策についても、今や期待を持てない状況になっている。
 こんな今、ハッキリ言えることが2つある。


 一度騙された民主党にはもう期待しない。
 一度騙された『刀語』には、これからも大いに騙してもらいたい。


2010年04月18日