小林よしのり「天皇論」を読む
天皇の皇位継承問題を巡っては、現皇太子に男児がいないことから、様々な議論がなされている。
2004年末に当時の内閣総理大臣・小泉純一郎の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が設置されたことは記憶に新しい。2006年に41年ぶりの皇族男子として悠仁親王が誕生したものの、依然として皇位継承資格者の不足という問題は残っている。
以下、小林よしのり氏の主張をまとめて記述する。
男系絶対主義者が、男系維持の特効薬として主張する「旧宮家復活」はあり得ない。宮家復活は王位継承問題を先送りするだけで、問題の先送りに過ぎない。
もし男系にこだわるならば、側室を置かない限り、数世代後に皇統は再び危機に陥ること確実。一夫一婦制で、何世代も確実に男子を産み続けることは不可能。
果たして側室無しで男系が続くのか。
それを検証するために、旧11宮家を調べた結果がある。
皇籍離脱から、60年もの間に、山階(やましな)、閑院(かんいん)、東伏見、梨本の四宮家には後継者がなく断絶している。さらに北白川、伏見には女子しかなく、男系は絶たれることが確定している。
現在、男系男子の子孫がいるのは、東久邇(ひがしくに)、久邇、竹田、賀陽(がや)、朝香の五宮家しかない。しかも人数的には、壮年が多く、若年が少なく、先細っている。
側室による庶子なくして、男系維持にこだわれば、先細りになり、皇室断絶になるのは確実。それに側室がいたとしても、過去の歴史を検証すると、血統の維持ができるとは限らない。側室制度が合った時代でも、三宮家が、大正13年までに断絶している。
側室と言えば、徳川将軍家を例に取ると、大奥があったにも関わらず、直系の男系男子の跡取りがなくなっている。
側室がいても男系男子の維持は難しいのだ。ましてや現在の皇統の危機は、一夫一婦制を維持する限り、いつかは必ず陥る事態であって、GHQのせいでも何でもない。
つまり、必要な議論は「女系容認か、旧宮家復活か」ではない。「女系容認か、側室復活か」である。
男系絶対主義者はこの事実から目を背け、議論をごまかし続けている。
男系絶対主義者は、「男系を維持してきたのは美しい日本の伝統」とまで言う。それならば「側室制度は美しい日本の伝統」ではないのか。
確かに男系絶対主義者の中にも側室復活を公言する者もいる。しかし、そのような者は、実際に愛人を持ち、妻公認で子どもまで愛人に生ませた経験でもあるのだろうか。側室復活を唱えている保守系の女も、自分の彼氏や夫が愛人に子どもを産ませても何も言わず耐えられるというのか。自分には絶対にできないことを、皇室にだけ要求するのは自己欺瞞だ。
もちろん男系絶対主義者の中にも側室復活までは主張しない者もいる。彼らは現代医学の進歩を盲信していて、一夫一婦制であっても男系男子は維持できると考えている。だから側室は必要ないという主張なのだ。
しかし、側室とはそもそも「男子を産む」ための制度である。どんなに医学が進歩した現代であっても、確実に男子が産まれる産み分けは開発されていない。
もし現代医学の進歩を絶対視するのであれば、いっそクローン技術を駆使して、明治天皇や昭和天皇のコピーを作ったらどうか。「バイオ天皇工場」を作れば、男系男子の天皇を未来永劫作ることができる。だがそんな天皇を誰が尊敬するのか。皇統を論じるのに、現代医学の進歩を持ち出すのは不敬につながる恐れがある。
あと、男系絶対主義者が目を背けている事実がある。皇室に一夫一婦制を導入したのは昭和天皇である。昭和天皇が側室を廃止した日、いつかは男系天皇が続かなくなることは、運命づけられていた。
ではなぜ昭和天皇は側室を廃止したのか。自分の代さえ良ければ、将来は皇統が断絶しても構わないと考えていたのだろうか。否。昭和天皇は皇室の行く末まで見据えた上で一夫一婦制を選択した。
今、天皇皇后は世界中で歓迎され尊敬されている。しかし、もし現在も側室が存在していたら、一夫多妻制をとる国家元首を世界が尊敬するだろうか。現在の事態は昭和天皇がもたらした大御心だったのだ。GHQに責任転嫁することなく、我々は正面からこの問題を受け止めなければならない。
「女系容認」などと消極的な言葉を使うのは不遜である。容認とは許すということだ。女系を許すなどとは不敬だ。今後我々は、「女系公認」と言わなければならない。
普段、天皇のことなど、これっぽっちも言及しない私である。それでも小林よしのり氏の主張に耳を傾けると、天皇制護持を最大の関心事としている保守派陣営内にあっても、天皇論において、激しく対立していることがよくわかる。
基本的に門外漢の分野なので、私がここで白黒自分の立場を述べることはない。それでも、他人の意見に耳を傾けることで勉強になったり、何か考える機会になったりすることが大いにある。
今回は、天皇を巡る問題において、これほどまでに興味関心を持つ関係者を深刻にさせていたということに、改めて驚愕し紹介した次第である。
【参考文献:SAPIO 5月12日号】
2010年04月25日