田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

高速道路を無料化すれば、全てが解決

必要?不要? 政治に振り回されるETC業界
2010年4月29日23時31分 asahi.comより


 高速道路料金をめぐる民主党政権の「迷走」に、車につけるETCの製造業界が困惑している。麻生前政権のETC限定「休日上限1千円」で急増した需要は、無料化を掲げて政権交代した鳩山政権の誕生で一気に冷え込んだ。さらに、新たな高速道路の料金体系をめぐる混乱で先が見通せない。「政治に振り回されるのは、もうこりごり」。業界からは、こんな声が出ている。


 「正直言って、怒りは通り越した。どう在庫をさばいていくかで頭がいっぱい」。ETC業界のあるメーカーの営業担当者(47)はこう嘆く。
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 ETCとは、高速道路が有料化しているからこそ、必要な機械であって、高速道路が無料化すれば、そもそもそんな機械はいらない。ETC業界が、政治に振り回されて迷惑しているというが、無料化論者の私からすれば、「ざぁまぁみろ」というところだ。
 結局、彼らは商売でETCを作っているのであって、日本の将来の高速道路構想を考えて商売をしているわけではない。儲かることもあるだろうし、損をすることもあるだろう。今さら、何を嘆いているのか。そういうことだ。そんなに儲からない商売ならば、撤退していただいて結構である。


 高速道路の料金の話になると、高すぎた料金の時には、一言もコメントしなかったような人でも、「無料は良くない」と言う。じゃー、以前の高すぎた高速道路の時代が良かったのかと言うこともない。つまり、高速道路の料金を語る人のほとんどは、自分の理想がない中で、「高くもなく、無料でもない、低料金がいい」ぐらいであって、無難に中庸を語っているだけなのだ。
 しかし、これまで何度も言い続けてきたが、低料金と無料化では全然違う。たとえ10円であっても、料金を取り続ける限り、料金徴収のためのコストは必要となる。それそこ10円を徴収するためにも、ETCの設置か、料金収受員が必要になる。ETCの機械は無料で設置できるはずがない。料金収受員も無料で雇えるはずがない。つまり低料金であっても、料金を取る以上は、高料金とほぼ同じだけの徴収コストがかかるわけである。もし、これを純粋に商売的観点から言えば、高料金であればあるほど、利益はでる。なぜならば、低料金であろうが高料金であろうが、コストは一定なのだから、料金は高ければ高い方が儲かる。
 政治家も含め、ほとんどの日本人は批判してこなかったが、民主党が政権を取りそうになるまで、高速道路の料金は、どんなに世間の物価が下がろうとも、デフレ経済に陥ろうとも、一貫して値上げし続けてきた。天下りの官僚たちが行ってきた日本最大の利権組織にとっては、世間の常識など全く通用しなかったのだ。
 私は、この広い日本の中でも、比較的早くから、高すぎる高速道路料金を批判し続けてきたわけだが、世論が私の主張を少しだけ理解してくれるようになったのは、20年後のつい最近の話である。


 つまり、仮に「常識的な」低料金化が良い政策だとしても、料金徴収コストが、料金収入を上回っては、料金を収集する意味がない。これまでほとんど通行料がなかった田舎の高速道路などは、きっとこの様な状態に陥っていたわけだ。一刻も早く無料化して正解だ。それならば、「儲け」だけを考えれば、高料金化した方がいいのだが、そもそも公共物である道路で儲けていいのかという疑問がある。道路とは、極めて多くの人たちが使う公共物である。
 それにも関わらず、未だに「高速道路を使わない人が高速道路の料金を支払うのはおかしい」などとおかしな議論をしている。よく受益者負担という言い方をするが、日本全国の高速道路は、東名高速道路の利益によって造られていることを知っている人はどれだけいるのだろうか。これはもう受益者負担ではないだろう。地方の高速道路は、東名高速道路の有料化があるからこそ、作れるのであって、何も、自分たちが普段通っている高速道路を、日々払っている通行料で償還などは、最初からできない宿命的な構造なのだ。
 この様に、高速道路における受益者負担の主張には、恣意的な受益者負担を容認する主張と、東名高速道路利用者のように、高速道路建設費の償還が終わった今でも、延々と通行料金を支払わされている「受益者負担ではない現実」には触れられずに成り立っている。一見、受益者負担という考え方は、このようなペテン師の論法によって、もっともらしく聞こえるだけであって、真に高速道路料金を受益者負担で行おうとすれば、高速道路建設など、どこもできないだろう。


 このように、だからこその公共物としての高速道路は、その利用促進を第一に考え、より多くの人たちに使ってもらうためにも、無料化すべきなのである。無料化すると渋滞するから良くないと言う人がいるが、渋滞しているというのは、より多くの人たちが利用しているからこそ起こる現象であって、考え方によって公共物の使命を果たしているとも言える。
 もし渋滞がいけないというのであれば、ラッシュアワーの電車の料金は、普通のサラリーマンが利用できなくなるほど、何倍にも値上げした方が良い。しかし、そうはならないのは、電車が公共交通だからである。高速道路も同じく公共物である。誰か高速道路料金を十分に支払えるような個人が得するためにあるべき存在の施設ではない。
 高速道路と電車やバスのような公共交通を対立軸が考える人がいるが、同じ交通手段の中にあって、車と電車やバスを、対立関係で考える方がおかしい。同じ利用者を奪い合う関係と言えば、電車だって、バスだって、飛行機だって、自転車だって、それら全ての交通手段が対立関係にあっておかしくないはずなのに、いつも何故か、対立の構造で言われてしまうのは、車と○○である。よく高速道路を無料化するとフェリーの経営が成り立たないと言って、業界揃って反対するが、本四架橋のように、本州と四国に橋が結ばれたときに、将来、フェリー業界が衰退していくことは運命づけられていたのである。もし本気で、フェリー業界を未来永劫、存続させたいと願うならば、なぜ本四架橋の建設反対を彼らはしなかったのか。少なくとも、私の耳には、当時の彼らが、本四架橋反対を訴えていたという話を聞いたことがない。おかしいじゃないか。
 タクシー業界は、客が奪われると言うことで、バスの存在に反対するのか。そんなことはない。高速道路と鉄道は、そのような関係だ。同じ地域で交通関係に携わっていても、客層が違うのである。タクシーを使う人は、バスは使わない。バスを使うような人は、タクシーは使えない。それと同じように、高速道路が安くなれば国内を車で移動するような人が、それでは高速道路が高いままならば、鉄道を使って国内を旅行するかと言えば、しないのである。つまりそれは客層が違うと言うことを理解していないからだ。車が好きな人間は、車が好きだから、その車で旅行を楽しむのである。車が便利だから旅行を楽しむのである。そのような人は、どんなに鉄道があったとしても、鉄道では旅行をしない層だ。同じようなことはバイクにも言える。
 だから、高速道路の無料化とは、今まで車で遠出の旅行をしてこなかった運転好きな人たちを、より確実に、日本全国隅々まで、旅行してみようかと思わせるインセンティブとなる。その人達を鉄道利用者と競合するという発想で見るのではなく、旅行者全体の需要を掘り起こし、延べ人数を増やすのだと考えた方がいい。
 高速道路の土日1,000円化に伴って、日本全国の観光地では、常識的に考えても、近県とはいえないほど遠い県外ナンバーをよく見かけるようになったとの報告例がある。また私が実際に東北の観光地へ行ったときにも、関西ナンバーを見かけたような経験もある。


 1,000円だ、2,000円だなどと、ちまちました議論をしていないで、日本全国、一斉に高速道路を無料化した方が、どれだけスッキリすることか。公務員に余計な仕事をさせない。余計なコストを支出しない。税金の有効利用を促進するためには、可能な限り制度はシンプルであった方がいい。その方がわかりやすくて、国民に周知徹底でき、なおかつコストは低くできる。今や高速道路の無料化に躊躇しているような時代ではない。


2010年05月01日