田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

職業選択の自由と表現の自由

裁判員女性、遺体写真見て体調不良 裁判後に退職、福岡
2010年5月9日7時5分 asahi.comより


 福岡地裁で1月にあった傷害致死事件の裁判で裁判員だった福岡県内の女性が、朝日新聞の取材に応じ、「裁判を機に体調を崩し、仕事を辞めた」と語った。女性は、裁判で解剖写真が法廷に映されたときから動悸(どうき)が生じ、裁判後は車が運転できなくなったという。裁判当時、すでに別の裁判員が解任されていたため、体調不良を理由に辞めるとは言いにくい状況だったという。
 担当した裁判では、凶器が争点となった。被害者の頭に致命傷を負わせたのは「金づちのようなもの」とする検察側は審理2日目の午前、解剖医を尋問した。頭部の陥没骨折を説明するため、法廷のモニターと大画面に頭部の解剖写真が連続して映された。
 女性は当初体調に問題はなかったが、解剖写真を見ると動悸が生じた。それでも、「見なくてはならないと言い聞かせた」と振り返る。
 直後の昼休み、別の女性裁判員1人が解任された。裁判所からは明確な理由の説明はなかったが、女性にはこの裁判員も写真の影響があったように見えた。1人では廊下を歩けない様子で、昼食を取らずに帰ったという。
 女性も昼食は進まず、午後は「頭が真っ白で最悪の体調。倒れるかもと思った」。めまいや動悸が続いたが、すでに1人が辞めていた中で「自分まで帰るわけにはいかない」と考えたという。
 裁判を終えた翌日から、体調不良となり、車を運転することができなくなった。車での営業職を約4年間続けていたが、週4回ほどのパート勤務も2月中旬に退職した。
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 お気の毒な事件である。体調を崩された女性には同情する。
 一般的に言えば、大人に対しては、表現の自由及び、それら表現を見る自由を制限されない。
 しかし、現実の社会は様々な理由をつけて、大人に対する自由を侵害している。これはこれで問題であり、全ての表現に対する冒涜であろう。即刻、様々な表現規制を撤廃すべきである。
 ただし、このような表現は、当然ながら18歳未満に対しては制限すべきであり、同時にそれを見たくない人に強制して見せるようなことが合ってはならない。強烈に「見たい」と望む大人だけが限定的に見られるものであれば、何ら問題ない。
 今、青少年の健全育成を大義名分にして、公然と表現規制を行おうとしている政治勢力はあるが、私はそのような主張に反対する。


 さて、大人に対しては、そのような「見ても良い」という権利があるだけで、それは「見なくてはならない」というものではない。前述したとおりである。
 また、本人の希望とは別に、普通は見たくない、見せたくないと思われる、エロ・グロ・バイオレンス等の、社会的に望ましくないと思われるような表現に対しても、大人であるからこそ、ある程度の耐性があるものだと期待されている。
 それでも、そのようなエロ・グロ・バイオレンス等を見慣れていない人たちからすれば、そのような表現を見せられた場合、体調崩したり、気分を害したりすることは多々あるだろう。
 全ての人が、エロ・グロ・バイオレンス等を見たくないと思い、それらを見ないで過ごすことができる社会であれば、どれだけ素晴らしいことかと、思わなくもない。
 しかし、実際の社会は、エロ・グロ・バイオレンスを避けて成立はしない。人身事故と言われる電車への飛び込み自殺は、その事故現場とは、人の形を残さないほど周囲に肉片が飛び散り、とても見られるような状況ではないという。そのような状況であっても、その場所を片付け、掃除する人がいなくては、その場所はもう二度と人が近づけない場所になってします。
 誰もが嫌がるようなことであっても、お金を支払うことによって、職業としている人がいることで、何とか社会が成り立っている分野はたくさんある。職業とはそういうものだ。楽しい職業とは、ほんの一握りで、大半は、辛く苦しく嫌な仕事ばかりなのだ。でも、それを誰かがやらなければ社会は成立しない。


 今回の不幸な事件に関しては、事前に、人体の内部が見える一般的には人が嫌悪するような写真を見せられる可能性がある場合には、その手の写真を苦手とする人が、裁判員を辞退できるような制度があれば良かったと思う。
 本来ならば、半ば権利でもあり、義務とも考えられる裁判員制度の下では、その責任を辞退するのは望ましい行為だとは思わないが、不適任な人材をその職に就けることは、かえって不都合な結果をもたらすことだろう。
 速やかなる制度改正を望む。


 それと同時に、現代社会が、エロ・グロ・バイオレンス等の表現に厳しくなりすぎる傾向にあるが、18歳未満にそれを見せなくすることは必要だと認めても、大人からもそのような映像を見せなくすることは望ましいことではない。
 今回の事件のように、職業上、そのような映像を見なければならない職業は多々ある。その度ごとに体調を崩していたのでは仕事にならない。元々、そのような映像が苦手な人がいることは理解するが、今回のような裁判員制度の場合、ほぼ全ての国民に対して、解剖写真などが見せつけられる場合も考えられる。そのようなときの耐性を、日頃から大人が養っておかなくてどうするというのか。


 世の中、綺麗なものだけを見て成り立っているわけではない。誰かが汚いもの、他の人に見せるべきではないものを見ながら、社会は成り立っている。


2010年05月09日