応援する側される側
友人に誘われて、参院選挙を応援するための選対会議に行ってきた。
応援すること自体は問題ないのだが、市議会議員・区議会議員の間で、「では応援する側のメリットは」という話になった。
もちろん、選対会議の場での話では無く、会議が終わったあとの単なる雑談の域だが、これは当事者である無所属議員にとっては、結構重要な問題である。
同じ政党に所属している者ならば、それが市区町村議会選挙と国政選挙において、応援する側される側が簡単にひっくり返っても、何ら問題は無いだろう。
しかし、国政選挙を応援する無所属議員の場合、応援した候補者が所属する政党の公認候補が、同じ選挙区から立候補した場合、はたして当選した国会議員は、かつて応援してもらった無所属候補の応援などできるのだろうかということだ。
自民党や民主党のような大きな政党ではさほど問題にはならないかもしれないが、そうではない第三極以下の政党の場合、現実問題として、無所属議員は一方的に応援するだけ。市区町村議員の選挙では、自分が応援した国会議員は無所属の市区町村議員の選挙を応援してはくれないのではないか。
こんな疑心暗鬼が出てくることだろう。
これは決して、候補者個人の問題ではなく、政党の姿勢の問題と言える。公認候補と公認ではない無所属候補ではあるが、かつて大変世話になった無所属候補を同列に扱って、政党所属の国会議員が応援できるのかどうかと言うことだ。
何気ない問題かも知れないが、実はここには大きな「貸し借り」の意識が働いている。議員と言えども、人間だ。やはり、そこには純粋さとは別の打算がある。その打算をお互いにうやむやにして、選挙は戦えない。自分の打算だけでなく、他人の打算に対して敏感でない人間が、政治に携わるべきなのだろうかと思う。
小選挙区制という選挙制度がそうであるように、今の国政選挙はより多くの支持を集めなければ当選できない。そこには政党の枠に縛られない無所属議員の支持も必要となってくると言うことだ。それなのに、その無所属議員たちは、自分たちの選挙では自分たちが応援した議員から、その応援が得られないとするならば、それは至って不公平というものだ。
はてさて、この様な問題は、選挙に対する哲学と経験から導き出さないと、単純にきれい事だけでは収まりが付かないと思うわけだが、政党幹部の皆々様は、いかにお考えなのか、是非ご意見を賜りたいものである。
2010年05月11日