千葉景子法務大臣を「あえて」擁護する。
私が外国人参政権に反対する立場に所属していると、聞こえてくるのは、千葉大臣に対する悪い評判ばかりである。確かに主義主張が違うのだから、評判が悪くても当然なのだが、“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”の論調で、書かれていると、とてもではないが、全ての意見に同調などできない。
例えば死刑廃止については、千葉法務大臣が、死刑を執行しなかったことを理由に「仕事をしていない」という主張があった。
しかし、これについて言えば、千葉法務大臣の行動こそが正しい。歴代の法務大臣の“業績”について検証してみよう。
鳩山邦夫氏の業績とは、ウィキペディアによると以下の通りである。
>福田政権下では平成19年12月(3人)、平成20年2月(3人)、平成20年4月(4人)、平成20年6月(3人)と4回(計13人)の死刑執行を命令した。これは、平成5年3月の死刑執行再開以降の法相では最も多い数字であり、前述の弁の通り現行法の遵守へ勤勉に努めた。
森英介氏の業績とは、ウィキペディアによると以下の通りである。
>DNA鑑定の未熟さから冤罪の可能性があるといわれつづけ、終始一貫して犯行を否認し無罪を主張して再審請求をしていた飯塚事件の死刑囚の執行命令書に捺印し、2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行された。
方や13人の人間を殺した法務大臣経験者であり、方や冤罪の可能性がとても高い人間を殺した法務大臣経験者である。私からすれば、この様な人物達が“仕事をした法務大臣”とはとても言えない。むしろ、何もしなければ良いものを、余計なことをしたマイナス評価の大臣経験者だ。
職務に対して、真面目に取り組んだために、人を不幸にする職種がある。逆に、職務に対して、不真面目に取り組んだため、人を救える職種がある。
杉原千畝氏のように、職務に反して仕事をしてもなお、後世において高く評価される人物でさえ、世の中にはたくさんいるのだ。
死刑廃止については、賛否あることは承知している。しかし、死刑を行った法務大臣を“仕事をした”として評価し、死刑を行わなかった法務大臣を“仕事をしなかった”として批判することは、間違っている。
私に言わせれば、これは仕事をしなくて正解の分野である。
死刑推進論者の中には、「悪いことをした者はすぐに死刑にしろ」という人もいるが、そのような人たちは、日本を中国のような死刑大国にしたいというのだろうか。
日本は、西側陣営の一員である。それならば西側陣営の価値観である“死刑廃止”という基本的な価値観を共有せず、これからもドンドン死刑を推進していけば、日本は奇異な国として見られることだろう。これで西側陣営の一員と言えるのだろうか。
明日の日本を西側陣営から遠ざけ、死刑大国かつ現代の侵略国家である中国のように、日本をしたいのだろうか。
1つの主義主張が違うからと言って、全ての主義主張をも同時に否定してしまうことは、「良し悪し」による単純二分法による人間理解にとっては都合がいいだろうが、それは単なる“思考の怠慢”にすぎない。人間はそんなに単純に二分化できない。
2010年07月18日