田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

私が一番見たくなかった、政治家の醜い姿

死刑廃止、持論は崩さず=「執行は職責」と千葉法相


2010年7月28日14時6分 asahi.comより


 「死刑廃止という議論が出れば、一つの国民的な回答だ。わたしが考え方を異にするわけではない」―。人権派弁護士として知られた千葉景子法相は、死刑執行を発表した28日の記者会見で、死刑廃止の持論は変わっていないことを強調した。
 執行に立ち会ったばかりの千葉法相は、こわばったような表情。死刑廃止に取り組んできた経歴と矛盾しないかとの質問には、「法相として職責を与えられている」と反論した。
 現場を見た心境を問われると、「指揮命令した者として、きちんと確認するために立ち会わせていただいた。それに尽きる」と答えた。感想は一切述べなかった。
 自公政権下で行われた前回の死刑からちょうど1年。自らの就任からも時間がたち、今月の参院選で落選した後に執行したことについては、「時間をかけ、問題がないか検討した結果だ」と説明した。
 なぜ執行前に勉強会を設置し、議論を促さなかったのかと指摘されると、「これまでの間、そこまで至らなかったことは事実。今後は真正面から受け止め、国民にも情報提供する」との反省も口にした。 
[時事通信社]
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 国民の中には、死刑存続論者が沢山いることは理解しています。
 しかし、だからと言って私がその主張に一致するかと言えば違います。
 千葉景子法相は、とても辛い決断をされたのだろうと推察します。
 それでも、死刑を決断されたことを私は評価できません。
 7月18日(日)の日記で、評判が悪い千葉景子法相をわざわざ擁護して見せたのに、私の擁護のコメントは何だったのかと自問自答してしまいます。


 もし私が千葉景子法相の立場ならば、どうしたでしょうか。
 死刑を行えという批判を世論から受けながらも、死刑のサインはしなかったでしょう。
 また内閣総理大臣からも、死刑のサインをしろと要求されたとしても、私はそのサインをしなかったでしょう。その結果、自分自身が法相を罷免されたとしてもです。
 少なくとも、死刑のサインをしなければ、自分の生命がおびやかされるという脅迫下による決断ではなかったはずです。


 私がつくづく残念だと思うのは、死刑そのこと自体よりも、「地位保全のため、信念を売った政治家の姿」を見せられたことです。
 例え思想信条が違っても、自分の信念を貫いて殉じた政治家の姿には、一定の敬意を払います。
 しかし、私が見させられたのは、「信念を売った政治家の姿」でした。それは私にとっては、一番見たくない、政治家の醜い姿だからです。


 千葉景子法相は、きっと今でも死刑廃止論者なのでしょうが、だとすれば、ご自身がご自身の決断によって行った“罪”の大きさを一生、十字架として背負い込みながら、これからの政治家人生を歩んでいく覚悟がおありなのだろうと推察します。
 誰も非難しないかも知れませんが、きっとこの罪は、ご自身の良心が死ぬまで非難し続ける罪です。


 私のような軟弱者は、この様な罪の意識に、到底耐えられません。


 あえてプラス思考で発想すれば、これを1つの機会として、死刑について、国民的議論が深まることを、より一層、私は望む者です。


2010年07月31日