政治家に必要な欲望
多分、それは権力欲だと思う。権力欲の無い政治家はいない。そんな者は、生きる気力がない人間に等しく、ありえない。
善悪の価値判断を超えたところに権力欲は存在している。歴史上の人物がそうであったように、「この国を良くしたい」などという動機は、二の次、三の次であって、まずは権力を掴みたいというのが、政治家になろうとする一番の動機であろう。
逆を考えてみたらいい。権力を持たない政治家がいたら、それは何の役に立つのだろうか。たとえどんなに良いことを言っていたとしても、権力を持たなければ、それを実現することはできない。
政治家は権力を求めることを批判されるべきではなく、むしろ権力から離れようとすることを批判されるべきではないだろうか。
2010年5月29日の日記で、私は連立与党から離れようとする社民党を激しく批判した。同様に、6月12日の日記では、社民党を批判しつつ、連立内閣に留まろうとする国民新党を評価した。同じく、7月29日の日記では、社民党から離党して、より民主党に近い動きをしていくだろう辻元清美氏を評価した。
自分自身の日記を読み返して思うことは、権力から離れて自分は綺麗なままでいようとする政治家に対する憎しみと、権力にまみれて自分が汚れてしまっても権力の場に留まろうとする政治家に対する賞賛なのだと思う。
この様に日記では偉そうなことを言っていても、私自身は、ここ8年近く、ずっと「一人の会」として一人で活動してきた。それを評価してくれる支持者も多いのだが、正当な権力を行使できなかったとなれば、これは有権者に対する背信行為ではなかったかとも思う。
権力に近づこうとしない、綺麗なままの自分を保とうとするその自分自身が置かれた立場を、自分自身が批判的に検証しなくて誰が批判するというのだろうか。
お金はたくさんあるに超したことはない。
そうは言うけど、宝くじで10億円当てた人が、次の日から真面目に働くとは思えない。少なくとも全員がそうであるとは、到底思えない。
お金はたくさんあった方が良いには違いないけど、ある程度、たくさん持ってしまうと、それ以上は、「持ちたい」努力を人は止めてしまう。
権力だって、同じではないだろうか。
有名な政治家ばかり見ていると、政治家とは、権力欲の固まりのように思えるかも知れないが、世の中には、そのように全国的には有名にならずに引退していく政治家がたくさんいる。彼らは、一般に権力の固まりのような政治家では決してない。
しかし、それが政治家として良い姿なのかと言えば、はたして良い姿だったのかと疑問に思う。それは宝くじで10億円当ててしまって、以後働かなくなってしまった人と、同じではないのだろうかと。
真摯に考えると、これは有権者に対する背信行為ではないだろうか。
今、私は、自分自身が、その背信行為をしている一人なのではないかと、大いに疑問を持っている。
2010年08月15日